コース「天神道越え」後編
・湯原⇒平岩駅前:1時間20分(5.3㎞)*1
湯原(ゆばら)(再掲)
道標は砂山から下り、国道148号へ出るところにあります。
塩坂トンネルの入り口に小谷村営バスの停留所があります。
前沢の橋を渡ると案内板があります。
15 硫化水素発見地点*2
湯原道標から北へ300ⅿほど。湯原トンネルの入り口近くの山側に建物があります。右の建物は屋根の上に喚起棟のようなものがあり、ここから硫黄の匂いが出ているようです。
国道を車で走っていると湯原付近で温泉(硫黄)の匂いがします。これまでずっと、猫鼻の湯の温泉の匂いだと思っていたのですが、この建物が発生源だったのです。
国道の向かい側には猫鼻の湯の招き猫。硫化水素の匂いは図らずも温泉の広告になっています。
招き猫さんの前の道を、道路に書かれた「▶▶塩の道▶▶」に従って進めば、間違いなく猫鼻石仏群に着きます。
でも、どうせなら「道筋の大岩」を見たいと思い、点線で示されている「通行注意」の道へ行くことにしました。
16 幻の「道筋の大岩」
湯原道標の方へ200ⅿほど戻り、旧国道を姫川側に入ります。
15ⅿほどで道路に消えかけた「▶▶塩の道▶▶」があります。この道へ入ります。
100ⅿほどで3本の道に分かれます。左は国道へ、中は細い道。右には「湯原温泉⇔」の案内があります。そちらへ進みます。
招き猫が「こっちだよ」と直進を示しています。直進方向には温泉の建物がチラリと見えています。地図*3を見ると、道筋の大岩はもっと姫川寄りですので、右の道へ入ってみます。
この道を猫鼻の湯の建物の真下まで行ってみましたが、大岩は見つかりませんでした。
17 湯原温泉 猫鼻の湯*4
道を戻り、今度は招き猫の「こっちだよ」の言うとおり直進しました。すぐに猫鼻の湯へ着きました。日帰り温泉だけでなくキャンプもできるようです。
猫鼻という面白い地名は、「尾根筋が猫の鼻のような形をしている。」*5からです。
「このあたりに昔は茶屋もあったが、今は姫川に面する川原の高台に石仏群がある。」*6
18 猫鼻石仏群*7
湯原から20分(0.7㎞)
猫鼻の湯の駐車場北端から見えます。
たくさんの石仏様が並んでいますが、数えてみると半分くらいは大日如来でした。
「(大日如来像)牛と大日如来の結びつきはよく分からないが、大分県の国東半島あたりには牛の背中に乗った大日如来像が結構あるらしい。牛は尊敬の対象だったようだ。
小谷は北の方は大日如来で馬頭観音はない。牛は爪がカモシカ型だから岩をよくかんで歩く。人間が歩くところは大体歩いてくれる。小谷の険しい道では牛が活躍した。」*8
左は文字、右は印の結び方、両方とも大日如来です。
「牛は爪がカモシカ型」というのは偶蹄目のことだと思います。馬(奇蹄目)と牛(偶蹄目)の違いについて次のような話があります。
「奇蹄類が誕生したのは、およそ6000万年前の“暁新世”という時代とされています。さらに、5200万年ほど前になると馬の祖先とされるヒラコテリウムという動物も誕生しました。ヒラコテリウムはキツネくらいの大きさで、脚には5本の指がある動物です。
この形から、体高が高くなり蹄が1つになったのには、ある環境の変化が関わっています。今から3000万年ほど前の“漸新世”という時代に、地球は以前よりも寒冷で乾燥した気候へと変わっていったのです。
それに伴いジャングルのような深い森は減り、草原のような場所が増えたと考えられます。すると、今まで森の中で木々や草に身を隠すことで身を守ってきた奇蹄類たちは隠れ場所を失いました。
草原で生きることになった馬の祖先たちは、身体を小さくして隠れることより大きくなって遠くの敵をいち早く見つけるという形で進化を遂げます。また、発見した敵から逃げるスピードを手に入れるために、脚は長く指の数は少なくなったのです。」*9
「ウマは胃を1つしか持っていませんが、ウシは胃を4つ持っています。ウシは胃である程度発酵させたものを口の中に戻し、噛むことによって撹拌させ、飲み込んでまた発酵させるという『反芻』を行います。
反芻をすることによって微生物により一層の消化をさせ、栄養分をさらに効率よく取り出すことが可能です。
また、胃は小腸の前にあるため、とりだした栄養分の多くを小腸で吸収することが可能です。」*10
牛は道沿いの草を食べて栄養分を取り出せるのです。これも馬よりも牛が活躍した理由の一つだと思います。
城の越と湯原の間に「ねじかけ」という面白い地名(?)が記されています。
「葛葉峠からの上りの途中、荷崩れしないように牛のネジカケを縛り直したという『ネジカケ』という場所がある。」*11とのこと。
塩の道を北へ進みます。
木立の合間に姫川の流れが見えます。
細々としてきます。
サラシナショウマがたくさん咲いていました。
葛葉峠がすぐそこのように見えます。
国界橋が見えてきました。
橋の下を潜り抜けます。
そこには仮設(鉄管)の階段があります。
19 蒲原
湯原トンネル(国道148号)の北端に出ます。ここから南は長野県(小谷村)。
蒲原沢・土石流災害
蒲原沢を渡ります。
「信越国境の川。街道は姫川との合流地点から100ⅿ程上流を渡った。北側には巨石があって水神様を祀る。
蒲原沢は普段、裸足で問題なく渡れるのであるが、平成7年などは完成したばかりの国界橋を跡形な流失させた暴れ川に変わる。」*12
「蒲原沢土石流災害は、新潟県と長野県境に位置する小谷村蒲原沢で1996年に発生した土石流災害である。前年に起きた豪雨災害の復旧工事に従事していた作業員14名が死亡したこの災害はその後、土石流発生が予見できたかどうかについて遺族と国の間で争われた。」*13
「前年の1995年夏、後に7.11水害と呼ばれる集中豪雨災害が発生した。特に姫川水系上流部の被害が激しく、氾濫により姫川に沿って通っていた道路や線路上を流れる濁流がスノーシェッドを転覆させ、多くの箇所で道路や線路の法面が崩壊した。交通手段を失った新潟県糸魚川市平岩地区では500人以上がヘリコプターで救出される事態となった。
蒲原沢でも上流から流れ落ちる濁流により河道がえぐられ、前年に完成したばかりの国道148号国界橋(ラーメン橋)が流失した。」*14
「ラーメン橋」は気になります。「ラーメン橋(ラーメンきょう)は、橋梁形式の一つであり、主桁と橋脚・橋台を剛結構造としたものである。ラーメンは『骨組み』を意味するドイツ語のRahmenに由来するもので、英語ではRigid frame bridgeと称する。」*15どうやら、醤油ラーメンとは関係なさそうです。
国界橋
蒲原沢を渡る国界橋
橋を渡ると新潟県(糸魚川市)。海と佐渡とトキ!
「蒲原」道標
国界橋を渡ったところの公園内にあります。
葛葉峠の成り立ち、7・11水害
葛葉峠ができた経緯や平岩付近の水害(1995.7.11)についての説明。両方ともこれから歩く場所です。
蒲原沢土石流災害慰霊碑*16
「前年に起きた豪雨災害の復旧工事に従事していた作業員14名が死亡」とは何ということでしょう。言葉もありません。塩の道の時代から現在に至るまで、そして将来も災害との闘いは続きます。尊い犠牲者に合掌…。
なお、「小谷村の常法寺に追悼のため安魂地蔵尊塔及び十四地蔵尊、常願観音が建立された。」とのこと。
前の国界橋の硬玉
「7.11水害」で流失した前の国界橋(ラーメン橋)の親柱上に取り付けられていた硬玉。後日、災害復旧工事中に見つかったそうです。災害の事実を後世に伝える存在ですね。
公園から国道へ出ます。
大所トンネル(国道148号)が見えます。ここは四差路になっています。
左(山側・西)の道は通行止め。この先にシダレシナノキがあるそうですが、残念ながら行けません。
「蒲原一帯に自生する。樹皮は古くから科布(しなふ)などの原料にされた。従来枝垂れのシナノキは知られておらず、植物奇形上おもしろい(市天然記念物)。」*17
右(姫川側・東)の道を下ります。
20 蒲原温泉
すぐに蒲原温泉の宿だった建物が見えてきます。
「街道中自噴する温泉は姫川温泉と源泉を同じくする蒲原温泉のみ。温泉場の開業は安政9年(1780)の頃と言われる。道中格好の休み場であったが、姫川畔であったために災害による被害が多かった。薬師堂もあったが近年の災害で流出、付近の景観も一変し温泉は休業中。
小谷は地滑りが多いため、地震除け・地滑り除けとして鹿島社や戸隠社を祀る所も多い。」*18
姫川の川岸に温泉の滲みだし*19や湯溜まり*20があるそうです。
温泉宿の建物に着きました。
「来馬宿と大網宿の間に距離があるので、江戸中期に作られた。」*21
「葛葉峠口」道標
上の写真、左端の電柱の下に道標があります。
葛葉峠に向かって山道を登ります。なかなかの急登です。
「蒲原温泉から峠までは桜並木のつづら折りの道になっていた、隠れた桜の名所。ヒメギフチョウの生息地でもある(国天然記念物)。」*22
匂いに気づいて見回したら、銀杏の大木がありました。
銀杏がたくさん落ちています。秋ですね~。
21 葛葉峠
急登の先に青空が広がり、道標らしきものが見えます。あと一息、頑張れます。
道標は絶妙な位置に建ち、応援してくれます。
「葛葉峠」道標。猫鼻石仏群から30分(2.3㎞)。海抜440ⅿ
「峠を通る旧国道は平成7年(1955)の災害により不通。」*23かつての「峠の茶屋」とでも呼びたくなるドライブインの建物は残っています。
油売り(筆者)は三十数年前頃、子どもたちのために毎年夏休みにはこの峠を越えて海水浴へ行ったものです。つづら折りの山道は車酔いするので、ここで休息したことを思い出します。
現在の峠の様子を目にして、寂しくもあり、懐かしくもあり…。自分の人生の一コマに再会できたようで、ここまで歩いて来てよかったと思います。
真那板山・善鬼巌
「姫川の渓谷は大規模に削られ、対岸の『真名板山』の下は大きな岸壁で『善鬼巌』と呼ぶ。雨の日には幾筋もの白い沢が現れ滝状に流れ落ちる。また地蔵峠の『地蔵沢』の下流にある『大滝』の上部をちらっと見ることが出来る。」*24
「1,000年くらい前、貞観元年の越後の大地震と、500年くらい前の戦国時代の頃と、2回の真那板山の大きな崩れで葛葉峠ができた。埋まった木の分析で分かった。崩れで大きなダム湖ができたときは、来馬の西方堂の奥の一本杉に舟をつないだという伝承がある。真那板山は岩がスベスベで、地震でド~ンと落ちた。」*25
「5蒲原」で紹介した説明板です(再掲)。葛葉峠の成り立ちや「7.11水害」について解説があります。
姫川を埋めてダム湖を作った真那板山はすごい。そのダムを削ってⅤ字渓谷の流れを取り戻した姫川もすごい。そして、この苛酷な環境の中で塩の道をつなぎ続けた人間も素晴らしい!
ウルル
峠の下り口にある道標です。葛葉峠は昔から「ウルル」の難所だそうです。
「『ウルリ、ウルル(イヨシロオビアブ)』アブの一種。清流の渓谷や周辺の山に生息。二酸化炭素、温かいもの(車の排ガス)に寄って来る。車内へも大群で侵入し、刺されると痛い。特に夕方に多く集まる。残念ながらスプレーや蚊取り線香は効果がない。今も大群に遭遇することがあるので、ある国は肌を露出しない服装がよい。」*26
「牛の体はウルルだけでびっしりになった。困った牛方は、夜、松明を持って峠を越えた。」*27
「宝暦3年(1753)の道中記『千曲之真砂』に『残暑の際は、うるりといふ蠅、いくらともなく群り出、目鼻口に入り、又は喰付て昼の中は通り難し…』と書かれている。」*28
油売り(筆者)も刺されたことがあります。刺すというより皮膚に食い込む感じで、爪で掻き取ると血が出ました。蚊やアブなどよりもウルルははるかに獰猛で強力です。
明星山
峠の下り道に明星山が「こっちだよ」と頭を出しています。
シナノキ
シナノキと思われる樹木がありました。健やかにのびのびと育った青年のような木で、右に見える明星山と相似形です。
そういえば、子どもたちが通っていた小学校の校庭の真ん中にはシナノキの大木がありました。今日、この木を見て、シナノキはそういう木なのだと改めて思いました。
「材はベニヤ、樹皮の繊維は布や和紙の原料になる。花からは良質な蜂蜜が採れる。…樹皮をはぎ、ゆでて取り出した繊維で布を織り榀布(科布=しなぬの・しなふ)、まだ布、まんだ布と呼び、衣服なども作られた。」*29
南小谷の小谷村郷土館*30にはシナノキで作った蓑がありました。
なお、「『シナノキ』の由来は、長野県の古名で『科布が多くとれた国』を意味するという信濃から来ており、『信濃の木』が転訛したものといわれている。」*31という説もあります。
5蒲原のシダレシナノキは見れませんでしたが、伸びやかな姿のシナノキを見れて満足です。
下から姫川の流れ、ホテル国富*32の青い建物、平岩が見えます。平岩から左(西)には大所川の谷があります。その向こうに大峰峠方面(塩の道西廻り)、そして明星山が見えます。日本海が近くなったことを感じ、嬉しくなる景色です。
千国街道はホテル国富前の大網橋で姫川を渡り、右の山地を登り大網宿へ向かいます。
えっちゅうさ
「『越中の人』という意味。越中と信州には古くから交流があって、越中から田植えの時期が遅い善光寺平の田植えを手伝いに来た。また雪で『代かき』(しろかき)が出来ない時期に、信州から越中へ手伝いにも出た。冬は雪で利用できない信州の牛馬を越中で預かってもらい、預かった牛馬は越中で様々な用途に利用されていた。
善光寺平帰り越中の人へのお土産は「あんず・胡椒(七味)・小谷のフキ」であったという。小谷や白馬などでも移動中の人に声を掛け田植え等の手伝いを頼んだという。
小谷の古老によると子供の頃よく葛葉峠で「えっちゅうさ」を待ちかまえ、勧誘をしたという。」*33
越中へは「親不知・子不知」の難所を通って40km以上ありますが、意外と近い関係にあったようです。「小谷のフキ」は漬物でしょうか、それとも田植え頃に採れる山菜のウトブキでしょうか。
それにしても「あんず・胡椒(七味)」とか、信州名物は今も昔も変わらないものがありますね。
22 ボッカ栃の樹
つづら折りの道を下りていくと、栃ノ木の巨木があります。
「『葛葉の大栃』通称『ボッカトチノキ』葛葉峠を北側にしばらく下った道の傍らにある。目通り4.5ⅿ、枝張り21ⅿ。秋になると栃の実がたくさん落ち、車がスリップしてしまったこともよくあった。歩荷たちが木陰で休息した街道時代からの遺産(市天然記念物)。」*34
栃の実を3・4個拾い集めて撮影しました。皮はたくさん落ちているのですが、実はなかなかありません。熊や猿などの野生動物が厳しい冬の前に栄養を蓄えようと一生懸命食べたのでしょう。
23 真那板通り
葛葉峠の裏側が見えました。すごいⅤ字峡谷です。真那板山の善鬼巌も迫力があります。ここは高度感もあり、この日、姫川の厳しさ・怖さを一番感じさせられた場所です。
小谷村中土に伝わる民話『真那板通りのお禅鬼さま』*35には、姫川沿いに真那板山のすそを通る村人の姿が描かれています。
…松男は、糸魚川まで魚を買いに出かけました。
その帰りのことです。大網を経て、姫川沿いに歩いてきましたが、真那板山のすそを
通る真那板通りまできました。道の幅は二尺(約60cm)もなく、そのうえ、絶壁の所を横切るので、一歩あやまれば、たちまち姫川へ転落してしまう危険な道でした。
そこで、この道を通るときには、
「お禅鬼さま、お禅鬼さま。」
と唱え続けて歩かないと、きっと災難が降りかかるとされていました。…
古代の人々はこの恐ろしい場所を避け、苦労して千国古道を切り開いたのだと思います。
「雪崩」の道路標識。現代の道も危険皆無なわけではありません。
24 白馬大仏*36
ボッカ栃の木のあたりから背中が見えていた白馬大仏。近くから見えました。
「開眼は1969年(昭和44年)、…宗教法人白馬大仏教会(…)管長で白馬観光ホテル社長である金田義孝によって建立された。座像である。5階建てで、高さは台座共23.5メートル、前巾18メートル。」*37
白馬大仏の隣には白馬観光ホテルがあったそうですが、今は建物も残っていません。
25 ザラメキ沢
平岩いで湯の広場へ下る三差路付近にあります。
この橋の橋詰から山へ入り、大所へ通じる道があったそうです。「荷改(にかい)」という場所もありました*38。塩の道「西廻りの道」ルートの一部です。
分岐点はちょうど黄色い「雪崩注意」の標識あたりになりますが、今は道の跡形もなく、入っていく気にはなれません。
左が平岩いで湯の広場へ下る道、右は葛葉峠への道です。
26 平岩いで湯の広場*39
駐車場、トイレ、芝生の広場、遊具などがあります。
広場の前を葛葉峠の方向へ大糸線が通っています。
広場の隣のホテル国富 翠泉閣さん*40。
「葛葉峠下の姫川の河床一帯が源泉。神経痛・リュウマチ・婦人病に効能がある。この付近に初めて車道を造ったときは、難所の葛葉峠を避け、『猫鼻』から姫川を東対岸へ渡り、姫川の右岸を姫川温泉の所まで通した。しかしあまりにも崩落が多いため葛葉峠越えになった。旧道は僅かに道跡が残る。」*41
姫川の右岸を通るとは、命知らずかと思うくらいです。
27 大網大橋跡
ホテル国富さんの玄関前から姫川の対岸を見ると、かつての大網橋の橋脚台となった黒い巨石が見えます。
左はデンカ横川第ニ発電所*42。」その上に大きな崩落が見えます。この崩落で、「大網峠越えコース」内、平岩・大網宿間のうち、道標「牧坂」・「荷換の峰」間は現在通行止めです。
橋桁の穴が見えます。次の区間「大網峠越え」を歩くときに見に行きます。
28 大網橋
こちらは現在の大網橋。海抜280ⅿ。平岩駅と平岩いで湯の広場の中間にあり、どちらへも450ⅿほどです。
「葛葉」の名前が残っている踏切
「おあみ」ではなく「おおあみ」。この橋から先は次の「大網峠越え」コースで歩きます。
でも、橋の上からの景色は見たいと思い、途中まで渡ってみました。上流方向には葛葉峠が見えます。
29 平岩駅前*43
葛葉峠から30分(2.3㎞)
車を停めてある平岩駅前に着きました。今日の終点に到着です。ところが、終点はここではなかったのです。このまま続きをご覧ください。
駅前にある「姫川温泉 瘡(くさ)の湯」*44の味のある看板。
裏は新しく塗り直したようです。「ガンバレ大糸線」の大きな文字。頑張れ!
「食堂あり」と書いてありますので、ちょっと遅いお昼ご飯に行ってみます。
30 ラーメン屋*45
平岩駅前から姫川湯橋を渡って350ⅿほど。日帰り温泉「姫川温泉 瘡の湯」(左)とラーメン屋さん(右)が並んでいます。
「ラーメン屋」という名前のお店。瘡の湯へ出前もしてくれるそうで、いわば瘡の湯の食堂的な関係のようです。
お店に入って驚きました。窓側を向いたカウンター席に座ると姫川の流れ、葛葉峠、白馬大仏がずっと見通せるのです。
今日の道歩きの終点に相応しい、最高の景色です。あの葛葉峠を越えて北小谷から歩いてきたんだな~と思うと満足感一杯になります。アラコキといえどもまだまだ歩けるぞ、次の大網峠越えも行けるぞ!と、はかない自信も湧いてきます。
ふと思ったのですが、白馬大仏は温泉街から見えるように配置されているようです。宿泊者を呼び込むための広告塔として絶好の位置にあります。
でも、姫川の水害や真那板山(葛葉峠)の崩落から平岩の集落を守る願いも込められているような気もします。以上、勝手な推測です。
さて、ラーメンです。
醤油ラーメン 700円(税込)。お店はまだ新しい感じで、店主の方もお若いのですが、ラーメンはいわゆる昭和の味。油売り(筆者)にとっては安心の味です。スープも飲みやすくて、道歩きの後の胃袋へどんどん流れ込み、ついに飲み干しました。
餃子は野菜たっぷりで300円(税込)。これもお値打ちです。
景色を楽しみながらの美味しいラーメン。お腹も心もすっかり気持ちよくなりました。大満足の一日でした。
あと、瘡の湯にも入れたらもっと幸せ気分に浸れると思います。車を運転するときは眠くなるので温泉には入らない決まりですが、いつの日か完全に大糸線利用でここへ来てみたいと思います。
今日のお土産
「おたり流 笹だんご(こしあん)」
小谷村「芽吹きの会みどり」 税込1,300円
道の駅小谷*46で購入しました。冷凍になっています。粒あんタイプもあります。
製造者は、小谷村の「芽吹きの会みどり」の村越さん。地元の方の手作りですから、まさに「おたり流」ですね。
植物の細い紐できちんと結んであります。「カヤかな?イグサかな?」とつぶやいたら、もう食べる態勢に入っている人が「これはイグサ。カヤなら穴が開いている。」とのこと。
お餅の色は濃い緑です。糸魚川の笹だんごにはヨモギが入っていて濃い緑ですが、おたり流はオヤマボクチの色なのですね。
オヤマボクチはお蕎麦のつなぎにも使われ、長野県の北信地方の名物です。ずっと以前、お蕎麦を打っている様子を拝見したことがあります。腕自慢のお婆さんが、お蕎麦の下に新聞紙を敷いて薄~く延ばし、透けて見える文字を読ませてくれました。お婆さんの腕もすごいけど、オヤマボクチのつなぎの力の強さにも感心しました。お蕎麦はコシが強いというか、とても弾力がありました。
このおだんごも、つるつるとした食感としっかりした歯ごたえがあります。『のどに詰まらせないように、よく噛んで』の注意書きが分かります。
笹だんごは糸魚川方面との交流の中で作られるようになったものと思われますが、糸魚川はお米の風味を大事にし、小谷はオヤマボクチの食感を大事にしているようで、それぞれ風土に根差した個性があって面白いと思いました。
では、オヤマボクチつなぎのお蕎麦も食べたことのある人の感想です。
蒸し器から出して「笹のいい香りがする。」
一口食べて「う~ん、うん。もちっとして滑らかで美味しいわ。ふ~ん、オヤマボクチ、使ってるんだ。」
『うん』×2+『ふ~ん』は相当の高得点でした。
道の駅小谷のレジ袋。牛方のデザインです。
今夜のお酒
南小谷駅前の石川売店*47で購入したワンカップや300mlの小瓶を紹介します。(『千国街道 §20 栂池⇒南小谷/千国越え 後編(千国諏訪神社発から)36石川売店』参照)
いつもはお酒の銘柄やスペックを見て決めるのですが、ワンカップだと手が出しやすいので、ついラベルのデザインの面白さで選んでしまいました。
ワンカップや小瓶をいろいろ買い、個性的なデザインや味を楽しむのもありだと思います。
いつの日か大糸線であこがれの飲み鉄をすること想定して常温で味わいます。
では、右から順番に。あくまでも個人的な感想です。
極旨口 白馬錦 シルエット缶*48
白馬錦酒造 180ml 税込385円
「藤井功さんに新デザインを考えていただきました。かつて庶民に愛された『盃・通い徳利・お猪口・一合徳利・杉玉・二合徳利』のフォルムを再現して、そのシルエットに117年の歴史を紡いだ白馬錦のロゴを載せていただきました。」デザインは6種類あるのです。
「極旨口」というだけあって、後味はスッキリですが旨味があります。普通酒ですが、常温でもアルコールのピリピリ感がなくて飲みやすいです。
大町市のお米や湧水を使っているとのこと。電車の窓から大町付近の田んぼや、居谷里湿原のある東の山を眺めながら飲んだら、なおさら美味しいだろうなと思います。
北安大國 純米酒 五十九*49
北安醸造 300ml 税込660円
大黒様のお顔がいっぱいに描いてあります。左下は打ち出の小槌。おめでたいラベルです。
59%精米の純米酒です。穏やかなよい香りがします。癖がなくて、バランスが取れていて、常温で飲みやすく美味しいです。飲みごたえもあって骨太な感じがして、おつまみがなくても、このお酒だけで充分楽しめそう。ただ、300ml飲むと、油売り(筆者)は寝てしまいそうです。
大雪渓 蔵出しワンカップ180ml *50
大雪渓酒造 180ml 264円(税込)
日本酒らしいラベル。『大』の文字の右に、小さく『蔵出し』と書いてあります。
常温ではサッパリした感じです。「燗酒コンテスト2021最高金賞受賞!!」とのこと。お燗にしてみるとさすがに旨味がぐっと増します。いわゆる燗上がりするお酒。
晩酌にピッタリなお酒だと思います。キャップの上に『やっぱり旨い!』と書いてありますが、毎晩そう思って飲めれば幸せな人生です。
白馬錦 白馬村男缶*51
白馬錦酒造 税込440円
ラベルは、白馬村のキャラクター「ヴィクトワール・シュヴァルブラン・村男(むらお)III世」のイラスト。フランス語で、直訳すると「勝利の白馬」という意味だそうです。*52
スタンダード、スキー、山登り、スノボ。4人の村男Ⅲ世 が描かれています。
いわゆる、ゆるキャラですね。ラベルも味わいのうちと考えれば、ディーゼル車の振動に揺られて姫川を眺めながら飲むのにふさわしいと思います。
少し辛口です。酸味やわずかな苦みなどが感じられます。そのバランスがほどよくて、常温で飲みやすいお酒です。
五一ワイン カップワイン白
林農園 120ml 350円(税込)
あと、ワインも置いてあります。塩の道の終点、塩尻市の五一ワイン*53のワンカップがあるのはうれしいです。他にワインのカップはあまりないので、ワイン好きの方には一択でしょう。
油売り(筆者)は、このワンカップの白ワインでつくるハイボール(カクテル)「スプリッツァ」を飲んでいます。
でも、ワインのことは何も知らないし、他の白ワインもあまり飲まないので、この五一ワインこそが自分の好みなのか、それすら定かではありません。というか、このワイン、いつも味が少しずつ違うように感じます。
特に赤ワインのワンカップは、ずいぶん濃いな~と思うときもあれば、なんだかスッキリしているな~と思うときもあります。
ワンカップというだけで銘柄の名前は付いていないので、その時々に、半端となったワイン(あるいはブレンド)を詰めているのかもしれません。スーパーのお刺身の切り落としみたいなものかも?
もしかすると、大当たりに出会えるかもしれません。面白いワインです。以上、勝手な妄想です。
「ミステリー作家ジェフリー・アーチャーは、自身の作品中でこのカクテルを『貧乏人のジェームス・ボンド』と呼ばせている。…ダイアナ元イギリス皇太子妃が生前愛飲していた事でも知られている。」*54
「貧乏人」というのは、安上がりな白ワインの楽しみ方だからでしょうか。油売りはワンカップ120mlと缶入り炭酸水250mlでスプリッツァ1杯をつくります。ボトルを開けて飲み残すようなことはせず、貧乏人らしく楽しんでいます。
*1:小谷村観光協会(2022).千国街道 塩の道を歩く
*3:小谷村観光協会(2022).千国街道 塩の道を歩く
*5:【千国街道塩の道】天神道越えコース(歴史観光・トレッキングコース)
*6:小谷村観光協会(2022).千国街道 塩の道を歩く
*8:【千国街道塩の道】天神道越えコース(歴史観光・トレッキングコース)
*11:【千国街道塩の道】天神道越えコース(歴史観光・トレッキングコース)
*12:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*17:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*18:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*21:【千国街道塩の道】天神道越えコース(歴史観光・トレッキングコース)
*22:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*23:別府公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍
*24:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*25:【千国街道塩の道】天神道越えコース(歴史観光・トレッキングコース)
*26:別府公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍
*27:【千国街道塩の道】天神道越えコース(歴史観光・トレッキングコース)
*28:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*33:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*34:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*35:あづみ野児童文学会編 2012).あづみ野・小谷の民話 郷土出版社
*38:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*41:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*48:白馬錦シルエット缶 | 【白馬錦】醸造元 白馬錦酒造株式会社
*49:北安大國 純米酒 五十九%精米(300ml/箱なし) | 北安醸造オンラインショップ
*51:白馬錦村男缶 | 【白馬錦】醸造元 白馬錦酒造株式会社
*52:ヴィクトワール・シュヴァルブラン・村男III世|長野県白馬村