期日
・2024(令和6)年10月21日(月)
コース
・北小谷駅⇒湯原:1時間40分(4.4㎞)*1
車はゴール地点の平岩駅前へ置き、JR大糸線のディーゼル車で出発地点の北小谷駅へ向かいます。
1 JR平岩駅*2
「1957年(昭和32年)8月15日:国有鉄道大糸線 中土駅 - 小滝駅間延伸と同時に開業。…当駅の所在地は新潟県糸魚川市であるが、駅舎には長野県小谷村の有線放送電話機が設置されている。」*3
駅前には駐車場があります。
このあたりは、姫川が長野(右岸)と新潟(左岸)の県境になっています。平岩駅は新潟県側にありますが、この案内板は小谷村観光連盟と糸魚川市の両者の名前が掲示されています。
ホームから南を見ると、鉄路の先に葛葉峠と小さく白馬大仏が見えます。左の一両編成のディーゼル車に乗ります。
2 JR北小谷駅*4
平岩駅・北小谷駅の区間はほとんどトンネルやスノーシェッド(洞門)の中です。地形の険しさを感じます。
一度だけ、警笛が鳴りました。「フォア~ン」という力強さとアナログ的な温かさを感じさせてくれる音でした。
11分ほどで北小谷駅に到着です。小谷橋に向かいます。
3 小谷橋
小谷橋の東端に近づくと、姫川の下流側の対岸に「ザットウ菱」が見えました。この岸壁の下を千国街道が通っています。「6 ザットウ菱」で紹介します。
左に見える大きな建物は道の駅小谷です。
小谷橋は工事中でしたが、歩行者と自転車は渡れました。橋の途中から東を振り返ってみます。左は大糸線のガードをくぐって北小谷駅へ。右は千国古道「地蔵峠越え」コースへと向かいます。
小谷橋の突き当りに道標があります。千国街道を歩いたら、次は千国古道を歩こうと思います。
小谷橋から西を見ると、小谷大橋(国道148号)*5と岩鼻が見えます。
4 岩鼻
ここは左の道からの「石坂越え」コースの終点でもあります。岩鼻付近の詳細は、『§22 石坂越え 後編』をご覧ください。
分岐点に「岩鼻」道標があります。
下寺の集落へ入って行きます。北小谷駅から10分(0.5㎞)ほど。
ステンレス製の大きな恐竜のモニュメント*6が見え、道の駅小谷*7の裏を通ります。
このあたりの詳細は『§22 石坂越え 後編』をご覧ください。
5 「下寺」道標
集落を抜け、国道148号が近くなるところに「下寺」の道標があります。(下の写真中央)
右へ進むとすぐ国道へ出ます。左の道を北へ進みます。
秋の気配が漂う草の道になります。
6 ザットウ菱
上の方に岩場が見えてきます。
「下寺の北の外れ。すぐ島温泉。『ザトウ』は目の不自由な按摩さん。渓谷に転げ落ちるような危ないところを言う。『ヒシ』は岩場のこと。横切るときは危険なところ。」*8
国土地理院の地図*9を見ると、このあたりは国道や姫川に沿うように岩崖が続いています。写真下の擁壁は旧国道のものと思われますが、それが地図の岩崖かもしれません。
昔は姫川が増水するとこの岩崖が水に洗われたのかもしれません。おそらく千国街道は水害を避けて岩崖の上を通っていたのでしょう。危ない場所ですね。ザットウ菱はその危ない場所の目印なのでしょう。
ノコンギクかな?
帰化植物のセイタカアワダチソウ
小谷除雪車格納庫の前に出ます。上の写真中央は島温泉です。下寺から10分(0.7㎞)ほど。
左は「大日如来」、中央は「南無阿弥陀仏」、右は台座だけが残っています。
7 「是より天神道」道標
島河川公園*10の近くまで来ました。
「湯原~島集落の区間の道をいう。特に湯原沢~城の越の区間は昔のままの道を残す。険しい姫川渓谷の中腹を巻くように道があるが、原生林の大木に守られ、崩れずに来た。美しい道で、紅葉の見所でもある。春先には一面にカタクリが咲く。カモシカをよく見る。」*11
ここから山道となります。
前回、石坂越えコース(南小谷⇒北小谷)を歩いた時は、夜露がジョギングシューズの中に滲みこんですっかり濡れてしまいました。今回は防水機能のあるトレッキングシューズを履いてきました。
ローカットなので一般道も歩きやすいのですが、小石や水滴も入りやすいです。そこで、ここから短いスパッツを付けました。結果的には歩きやすく、濡れもせず、正解でした。
島河川公園や姫川の向こうに白井沢の渓谷が見えます。千国古道はこの白井沢を渡り、左方向の地蔵峠を越えていきます。いつか歩いてみたいものです。
かなりの急登です。
倒木の下をくぐります。
ナラタケ。確かめなかったけれど、ツバが無ければナラタケモドキ。
8 「唐沢の石仏」道標
道標の背後に石仏群
道の反対側にもお一人様の石仏。腕の数が多いので青面金剛像の庚申塔かもしれません。
道を10ⅿほど進むと石仏群があります。
根もとの曲がった杉の隊列。このあたりは豪雪地域です。
9 「島」道標
舗装道路に出たところ。すぐに草の道に入っていきます。
道幅は広く削ってあります。
舗装道路と草の道を縫うように進みます。
木立の合間に姫川対岸の山々が見えました。千国古道の地蔵峠方面と思います。
気持ちのよい道歩きができます。
10 城の越・三峰様
広い場所に着きました。牛たちを休ませることもできそうです。道の先に道標が見えます。
「城の越」道標
ここは海抜490m。島温泉から40分(1.4㎞)ほど。
「島から上り詰めた三峯様付近をさす。かつて三峯様の尾根沿い上部の小高い丘に山城があったのでその名がついた。ここから越後の大峰峠が見える。」*12
「かつては城があった。城と言っても烽火を上げるとか見晴らしとか。」*13
左から「三峰様」の案内表示、木柱の道標、石柱の道標があります。
三峰様
案内表示の脇を登ります。道にはゴム製のステップが埋めてあり、足場は安心です。
すぐに三峰様を祀る広場に着きます。ここは小さな尾根のピークになっています。
広場には現在はベンチも置かれていますが、この山中としてはかなりの広さです。少なくとも20~30人くらいの人数が集まって祭事を行える場所だったと思います。
「カヤを円錐状にした簡素な社。同じものを三つ作るのが特徴。…春先一面のカタクリに覆われる。」*14
「三峰信仰(講):田畑の忙しくなる前に代参当番が秩父大滝村の三峰神社に参詣して神札をもらい、講中各戸に配布した。農業神として言い伝えられ、盗難、火災よけの神でもある。講のお守り札は山頂の三峰社の石祠に安置され、祭事が行われる。」*15
三体の円錐状の社の奥に、杉の巨木に囲まれて小さな石祠が見えます。こちらにお守り札を安置したのでしょうか。
それぞれのお社の根元には入口のような穴が開いていて、平たい石が置かれています。お供え物を置くところのように思われます。
「お供え物は小豆粥が一般的。」*16とのこと。当時、小豆は貴重品だったと思います。
石仏二体
道標の向かい側に、山側へ倒れ、斜面に寄りかかった案内板がありました。
周囲を見回しましたが、「松の大木」は見つかりません。
案内板の後ろを見たら小高い所に大きな切株があり、その根元に石仏が見えます。松の大木は切株になっていたのです。
やっと文化年間の石仏様にお会いできました。
茶屋跡、水場
「かつては…茶屋があった。今でも水場がある。常に北からの風が吹き抜け、夏でも涼しい。」*17
道より少し高い平らな場所に「塩の道 天神道 茶屋跡」の標柱がありました。
茶屋の前に休石のように見える石が大小二つ、並んでいます。小さな石(▼の形)の右側には草に埋もれた水場がありました。
石臼のような形をしています。上から水が流れ込み、正面の切り口から滴り落ちるようになっています。この日、水は流れていませんでしたが、石臼の中には水が溜まっていました。
道標の前にはベンチが置かれていましたので、そこで一休みしました。この日は南風が吹き抜けていて、少し寒いくらいでしたので、水場の隣の休石(?)へ移りました。すると風が当たらず快適でした。
峠は風の通り道が狭いので、少し場所を変えるだけでずいぶん違うものだと、アラコキになって初めて知りました。昔のボッカさんや牛方さんもよい場所を探して疲れを癒したことでしょう。
さて、油売り(筆者)もよい一服ができたので、湯原を目指して出発です。
道が細くなり、暗くなり…、少し心細くなります。
杉林の中を進みます。
サラシナショウマ
見事なL型
11 明星山遠望
明星山(みょうじさん)が見えました!新潟の山です。日本海が近づいてきたと思うと、嬉しくなります。明星山の麓には、翡翠の産地・小滝川のヒスイ狭があります。
「この山は全体が石灰岩でできている。この石灰岩は、赤道に近い温かくきれいな浅い海にすんでいた石灰質の殻を持つサンゴとか貝といった生物の遺骸がたまってできたもの。明星山はもともと数億年前に赤道近くの海底火山の上にできた大きなサンゴ礁で、それが海洋プレートにのって運ばれてきた。」*18
明星山は丸く盛り上がっていますので、ドーム型の火山かと思いましたが、石灰岩の固まりとは驚きです。どおりで周囲の山々とは趣の異なる山貌をしているわけです。目立ちますね。
ブナの大木
「ゴーゴー」という姫川の流れの音を聞きながら、広葉樹林の中を気持ちよく歩きます。落ち葉を踏みしめて…。
「今は崩れて傾斜になって歩きづらいが、かつてはきちっと幅を整備して、道普請が入っていた。」*19
ほんの一部ですが、かなり足場の悪いところもあります。水に濡れていて滑ります。トレッキングシューズを履いてきてよかったです。
アザミの花が咲いています。冬の入り口の小春日和、残り少ない暖かな日差しを浴びて、チョウたちが集まって舞い踊る姿が目に浮かびます。もうすぐそういう季節です。
12 休み石
道の山側にあります。谷側は転落の危険があるので、休むなら山側ですね。
「三角形で3人は座れる。」*20
13 砂山
「砂山」道標
木製の「砂山の石仏」道標も建っています。
中央が庚申塔で、本尊である青面金剛(しょうめんこんごう)の像が彫られているようです。左右に二童子を伴っているのでしょうか?三体で一組の庚申塔のようにも見えますが…。
道標の裏へ入ってみました。杉の林ですが、地形は段々畑のように台地が連なっています。
「大きな牛方・ボッカ宿があった。3間に6間の牛屋を備えた牛方宿があった。」*21この台地の上に牛方・ボッカ宿があったのでしょう。
千国に現存する牛方宿の間口6間、奥行10間*22には及ばないものの、このような山中にあってはとても大規模な建築物だったと思います。
土手(段差)の一部には石垣が見えます。
「明治の中頃まで7・8軒の家があって、牛方宿や茶屋があった。畑もあって賑やかな街道筋だった。明治の末頃、洪水にあって、全部湯原の方へ移った。」*23
「洪水は明治45年に起きた」*24
洪水の土砂で石垣は隠されているのかもしれません。
また、塩の道は新しい道路の整備により、明治20年代にはその役割を譲っています。国道148号には次の歴史があります。
「塩の道に代わるルートとして谷を流れる姫川沿いに、荷車や馬車が通行可能な平坦な馬車道としての開削が望まれるようになり、1882年(明治15年)に長野県が打ち出した七道開墾事業の一つとして計画され、1883年(明治16年)に実測調査を開始し、1885年(明治18年)5月に着工。1886年(明治19年)10月に大町から新潟県境までの工事が完了し、1890年(明治23年)に大町糸魚川線として仮定県道指定され、1892年(明治25年)11月の新潟県側の工事完了をもって全工事が完了した。」*25
千国街道とともに生活を営んできた砂山の人々は、明治45年の洪水をきっかけに新しい道の通る湯原へと移ったのでしょう。
湯原の方へ下ると、道沿いに見事な石垣が残っています。
この石垣、大きな牛方宿…、当時の砂山集落には相当な経済力があったものと思われます。平岩は「大所川と姫川が合流する所。昔は集落が無かった。」*26とのこと。下寺から大網宿まで大きな集落はなく、砂山は規模は小さくても重要な場所だったのだと思います。
豪雪のために根元が曲がった杉の脇を通り抜けます。湯原まで下り坂は急です。
明星山。その下には葛葉峠。さらに「湯原温泉 猫鼻の湯」が見えます。一番下は湯原の建物。もうすぐ湯原へ出ます。
国道148号と湯原トンネル
国道148号が前沢を渡る橋の南、塩坂トンネルの出口付近へ出ます。
14 湯原
塩坂トンネルと塩の道。道の入り口、右に道標、左に「塩の道➨」の案内板があります。
国道との合流点にある「湯原(ゆばら)」道標。城の越から40分(1.8㎞)ほど。
「硫黄の匂いがする所。昔は茶屋や歩荷宿があった。」*27
道標前の国道を渡ると小谷村営バスの「湯原」停留所があります。いつも頼りにしている小谷村観光連盟の地図『千国街道 塩の道を歩く』には、バス停は前沢の橋の北に記されています。場所が変わったようです。
もし、この「天神道越え」コースを区切って歩くなら、この場所が区切りの候補となります。
「§24 天神道越え 後編(湯原⇒平岩)」へ続く
*1:小谷村観光協会(2022).千国街道 塩の道を歩く
*8:【千国街道塩の道】天神道越えコース(歴史観光・トレッキングコース)
*11:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*12:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*13:【千国街道塩の道】天神道越えコース(歴史観光・トレッキングコース)
*14:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*15:別府公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍
*16:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*17:【千国街道塩の道】天神道越えコース(歴史観光・トレッキングコース)
*19:【千国街道塩の道】天神道越えコース(歴史観光・トレッキングコース)
*20:田中欣一(2012).塩の道 歩けば旅びと 信濃毎日新聞社
*21:田中欣一(2012).塩の道 歩けば旅びと 信濃毎日新聞社
*22:小谷村牛方宿(2018).信州・小谷 牛方宿 小谷村観光連盟
*23:【千国街道塩の道】天神道越えコース(歴史観光・トレッキングコース)
*24:別府公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍
*26:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*27:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社