中綱湖の山桜(2024.4.25)

15 簗場駅⇒神城駅 後編(姫川源流入口から)

「14 簗場駅⇒神城駅 前編(姫川源流入口まで)」の続き

コース

・南神城駅⇒神城駅:50分*1

出発地が異なりますので、あくまでも参考タイムです。

ラインが描画できないため空白になっている部分がありますが、実際には徒歩道があります。

21 姫川源流入口(再掲)

白馬さのさか観光協会*2前の国道148号を渡ったところにあります。

遊歩道に入ってすぐ。国道も人家も近いところですが…。

22 姫川源流*3

地図でみると、この沢の名前も姫川です。桜並木がきれいに咲いていました。

 

別の日に親海(およみ)湿原を歩いてみたいと思います。

 

カタクリ

アズマイチゲ(?)

フッキソウ

源流のワサビの花は咲き始め

 

「姫川源流湧水」の石碑

姫川は全長58㎞とのこと。千国街道の松本・糸魚川間は約120㎞、その半分くらいになります。

ここから、塩の道、大糸線、国道、そして姫川が寄り添うようにして日本海へと続きます。

この姫川源流に湧き出た水は、塩の道歩きの道連れみたいなものです。

 

姫川の流れ始めです。

「姫川には昭和初期まで、たくさんのサケやマスがのぼり、沿岸の人々を喜ばせていた。・・

サケやマスを常食としているアイヌの人たちは、多く大川と小川の合流点とか、地形のいい川端へ集落をつくる。それは、サケやマスが川を遡上して産卵にくるからである。・・

魚をつかまえるには、川幅はせまければせまいほどつかまえやすい。上流にいけばいくほど漁具もいらず、素手でとることができる。アイヌの人たちが、谷の奥まったところに集落をつくるのは、そうした理由があったからだ。・・

黒岩英治氏の信濃通史草案第一巻『信濃上代の話』には、太古、信濃の国は日本の最大漁場であったと記されている。

というのは、日本の海岸部などで発見される石器時代の遺跡には、貝塚はあるが魚塚はないという。大海では魚を容易に捕獲するのが困難であったからだという。

だがそのかわりに、容易に大量に捕獲できる貝があった。その貝塚には(略)魚骨は決して大量には出てこなかった。」*4

 

ニリンソウの群落

ミズバショウの花はそろそろ終わり

フクジュソウ

23 佐野

姫川源流から佐野の集落へ入って行きます。

一本道の山道と違い、集落の中ではコース取りがより重要になります。佐野の集落では、道に迷わず、最短距離で24二僧塚、25中村道祖神、26十王堂・石造物群、27東徳寺を巡りたいのです。

そこで「YAMAP(無料版)」*5で自分の現在位置を確かめ、「塩の道千国街道 詳細地図・・」*6に記されたコースやポイントと見比べながら歩きました。

どちらも国土地理院の地図を使っていますので、見比べやすくて便利です。

 

いろいろなところに桜が咲いています。

佐野地区は「天保4年(1647)の信濃国絵図に佐野から信越国境の『白池(しらいけ)』まで14里(56㎞)、10~3月は雪のため牛馬通行不可とある。冬はボッカのみの通行」*7とのこと。

24 二僧塚

姫川源流がら北へおよそ500ⅿ。

「西行法師がこの地を訪れたとき、二人の僧の死にあい、野辺送りをしたという西行伝説ゆかりの地。大町の大沢寺(だいたくじ)や松代の長国寺の住職であった、千丈実厳和尚による由来碑が立つ。寛政8年(1796)の造立。」*8

この石仏も高遠石工の作*9

塚の周りは桜の花びらで埋まっていました。

 

中村道祖神・十王堂を目指して佐野の集落の中を歩きます。

佐野生活改善センターの桜

 

ヒマラヤユキノシタが花盛りのお堂

25 佐野中村道祖神

二僧塚から西へ350ⅿほど。

「寛政3年(1791)の建立。形から双代祝言像と呼ばれる。」*10

26 十王堂・石造物群

中村道祖神と道を挟んで十王堂が建っています。

十王堂の南側ではたくさんの石仏様がお花見を楽しんでいました。

「御前山像がある。糸魚川『御前山信仰』が塩とともに運ばれてきた。」*11

糸魚川の御前山(ごぜんやま)にある運台寺のご本尊は十一面観音だそうです。この十王堂の御前山像も頭部に顔らしきものがあり、同じく十一面観音のように見受けられます。

御前山は糸魚川の千国古道沿いにありますので、いつの日か歩いてみたいと思います。

街道の南から、石仏群、十王堂、道路の向こうに中村道祖神。満開の桜の花に囲まれて…

27 東徳寺*12

十王堂から南へ150ⅿほど。

お寺は、すっぽりと桜の花や落ちた花びらに包まれていました。

境内の東屋で桜を眺めながら一休みさせていただきました。

石仏群にも降り積もる桜

不動明王像

一対の庚申塔

運よく特急あずさ号がすぐ後ろを通過しました。でも撮影モードを切り替える間もなく、シャッターボタンを押すのが精いっぱいだったのは運が悪かった…。

「裏の杉林に元禄4年(1691)の対の庚申塔が立つ。状態がよく対であるのも珍しい。」*13

カタクリの群落

桜の花びらで着飾った木の幹

東徳寺から北へ進みます。

ここは水仙

 

ここにも桜

28 南神城駅付近

東徳寺から再び十王堂前を通って北へ500ⅿほど。

丁字路に突き当たりました。

左を見ると南神城駅*14があります。

塩の道は正面の杉林の中へと続いています。(グーグルマップにはない道)

 

姫川源流入口と同じ「熊に注意!」の貼り紙。

ここは「本当にいるかも!」という雰囲気あり。

アズマイチゲ(?)

 

駐車場脇の雪の山。雪捨て場?

 

「白馬小径」と「千国街道」の標柱

29 沢渡南原庚申塚*15

庚申塚の道路向かいにひとり佇む仏様

 

桜の花びらを着飾った道祖神*16

 

巨木の切株を背にした石仏

30 貞麟寺*17

茅葺屋根の建物と「貞麟寺←」の標柱。江戸時代にでも戻った感覚になります。

「弘治2年(1556)仁科氏の支族であった沢渡氏の開基。曹洞宗。境内の糸桜は村天然記念物で樹齢500年。」*18

糸桜を楽しみにもう少し歩きます。

 

貞麟寺近くのコブシ。白馬にはコブシの花が多いという印象があります。

1977年に流行した昭和の歌謡曲『北国の春』(千昌夫)の歌詞に「こぶし咲くあの丘 北国の あゝ北国の春…」という一節があります。

「作詞者のいではくが後に自身の故郷(長野県南牧村)がある信州の情景を描いたと語っている。

一方作曲家の遠藤実は、いではくの詞をもとに自身の故郷(少年時代を過ごした疎開先)の新潟県をイメージして作曲したという。」*19

白馬も北国。高いところで眩しいように白く咲き、ひときわ目立つコブシの花は、春の到来を告げてくれる存在として大切に植えられたのでしょうか。

 

貞麟寺前の桜とコブシ

貞麟寺境内の桜

カタクリの群落

これが糸桜!風格のある古木です。

境内の参道に並ぶ石仏群

白馬はギフチョウも舞う自然の宝庫

31 民話「雪女」*20

もうすぐ白馬南小学校という場所に民話「雪女」の案内板があります。

「雪女」*21

「茂作、蓑吉の親子が『くらしし』(かもしか)を追って松川の北股入(きたまたいり)へ登ったが、雪のため猿倉の小屋へ逃げ込んだ。

眠っていた蓑吉が目を覚ますと、ふぶきにのってきたように美しい娘が戸口に立っていた。娘に霧のような真っ白い息をふきかけられた茂作は冷たくなって死んでしまう。

娘は『私は働き者で心のやさしいお前さんが好きになった。でも今夜ここで見たことは、だれにもいわないでくれ。』と言って小屋の外に消えた。
あるふぶきの夜、道に迷った美しい娘(小雪)をひと晩とめたことから夫婦となった。十年は夢のように過ぎ、五人のかわいいい子どもも生まれ、村の人たちからもうらやましがられた。

ところが、あるふぶきの夜、いろりばたで蓑吉は『あの時も、たしかこんな夜だったな。急に小屋の戸が開いて…』とつぶやいてしまった。

『おまえさん!どうかその先をいわないでください。とうとう約束をやぶって…。ほんとうなら、おまえさんの命をもらうところですが、かわいい子どもたちを見れば、それもできません。』

小雪は泣きながらいうと、はげしいふぶきの中へ消えていってしまった。

蓑吉は、ふぶきの日になると、白馬岳に向かい、『小雪、小雪』とよんでいたという。」

 

街道沿いに並ぶ石仏群と水仙

32 沢渡北原庚申塚*22

 

本来の千国街道は現在の白馬南小学校の校地内を通っていました。現在は校舎の西側を迂回しています。*23

校舎と大糸線の間を歩きます。

桜の花が舞う校舎の北側の坂道を下ります。

学校の庭にも塩の道の道標

33 馬頭観音

白馬南小学校前の国道148号を北へ2~30ⅿ進むと左(西)へ入る道があり、道の奥に小さな馬頭観音が見えます。

白馬南小学校側から見た小さな馬頭観音。国道からの道が右から。道の先は山を登って行きます。

思わず歩いてみたくなる上り道。地図も確かめずに『千国街道!』と進みました。これが間違いのもと…。

道は墓地までで消えていました。しかし、『何かあるだろう』と先へ。

すると、予想通り、細いけれど踏み跡らしきものがありました!

ところが、道は行き止まり。道のない斜面を5・6ⅿ下りると案内板のある道路へ出ました。

案内板の左下を見ると、千国街道は尾根を越えてはいません。わずか150ⅿほどの距離なのに、無理して尾根を越えるはずはないのです。

私は無理な道を選んでしまいました…。(ありがちなことです。)

 

千国街道はこの案内板の前を通って犬川、飯田、さらに糸魚川へと向かっています。

案内板には「松本ー糸魚川 120㎞」「この辺り(白馬村)がほぼ中間点」と書いてあります。このブログもそろそろ公開してもいいかなと思いました。

34 ガクモ原

少し寄り道して、案内板に「昔―この地域一帯は、広大な湿原であった」と記されているガクモ原を見に行きました。

国道(写真左端の道路)を渡るとガクモ原です。

「『ガクモ』とは湿原地に生育するツルコケモモ(ヤマドリゼンマイの説もあり)の意。水田の整備により湿原の面影はない。」*24

山里に暮らす人々にとって、干しゼンマイは大切な保存食であり、貴重な収入源でもありました。もしガクモがヤマドリゼンマイなら、かつてのガクモ原は宝の山だったかもしれません。

 

国道の大町方向を振り返ってみました。

白馬南小学校(写真左端に校舎が見える)の北の坂道を国道まで下りたら、2~30ⅿ歩いて小さな馬頭観音を探し、国道へ戻って100ⅿほど進み、「塩の道」の道標(写真右)から案内板前の道に入ればよかったのです。

 

案内板前の道を大糸線に沿って歩きます。

 

水仙が植えてあります。

35 飯田犬川端庚申塚

馬頭観音がたくさん。犬川を渡るときの事故が多かったのかもしれません。

36 犬川・飯田城址

悲話の伝わる犬川にも満開の桜。

「犬川物語」*25

「武田信玄が信濃を攻めたとき、犬川の上流には仁科家の家来、大日向佐渡守が飯田城をかまえて、武田軍をくい止めようとしていた。

『この城が豊かで武芸にすぐれた者の多い城だということを見せつけてやるのだ。かんたんに攻められるものではないと。』

勢いよくたちのぼる煙(食事の用意)、弓の稽古、石垣の上から落とす石など、城の様子を見た武田勢には攻め込むすきがない。

しかし、城から来た犬が夢中になって川の水を飲む様子から、城中には飲める水がないことを察知され、攻め込まれて飯田城は落城した。

この時から、この川は犬川とよばれるようになった。」

 

飯田城址のある山(神城駅前から)

「天文年間(1532ー55)、仁科氏の家臣・大日向佐渡守の居城で、弘治2年(1556)武田軍・山県昌影の手によって落城した。また近接する飯森城(一夜城)も攻め落とした。」*26

37 道の駅白馬*27

国道へ出るとすぐ南に道の駅白馬があります。ステンドグラスは白馬のデザイン。お土産や特産品、地元産の野菜や山野草の販売、レストランなど。

お酒のコーナーで地酒を買いました。季節商品の小瓶が多くあり、通りがかりに家飲み用を買うには都合のよいお店です。この記事末尾の「今夜のお酒」で紹介します。

38 飯田十三仏堂

道の駅の南隣にあります。

中に入ると、ガラスの向こうに十三の仏像が並んでいます。壁には十三仏を描いた掛け軸が掲げられています。

お堂の外には古い石造物が雨宿りのように並んでいます。

39 飯田

国道の神城駅入口です。

「ここは飯田」と書いてあります。

「善光寺道・戸隠道への分岐点。天保4年(1647)の信濃国絵図に善光寺まで10里29町8間(約43㎞)とある。」*28

善光寺までの距離が「8間」まで精密に記されていて驚きました。

40 大黒食堂*29

神城駅入口から国道を北へ70ⅿほど。

「旨い!ソースかつ丼」ののぼり旗。ベテランのご夫婦が経営されています。

今日の目的地の神城駅はもう目と鼻の先。ガッツリ食べて歩くのが億劫になっても大丈夫です。名物のソースかつ丼(900円)をいただきました。

とんかつの肉は薄くもなく厚過ぎでもなく、ほどよい厚さ。ソースの味がしっかり付いてしていますが、後味はすっきりです。

ご飯が見えないほどとんかつが載っているのを見て『食べ切れるかな…』と思ったのですが、箸が止まらず、どんどん食べてしまいました。

みそ汁は豆腐や野菜の具沢山。キャベツの千切りとリンゴのスライス。それに柔らかい葉物のお漬物。

お漬物の正体が分からないので聞いてみたら、奥さんが「これ!野沢菜!」と見せてくれました。お漬物を切らさないように、小さめの野沢菜を工夫して漬けたそうです。

手作り感いっぱいの昭和の食堂でした。

41 JR神城駅

国道から西へ100ⅿ。

駅の後には五竜岳からの遠見尾根。エイブル白馬五竜スキー場*30のゲレンデも見えます。

「1930年(昭和5年)10月25日:国鉄大糸南線の簗場駅 - 当駅間が開通し、開業。1932年(昭和7年)11月20日:当駅 - 信濃森上駅間が開通」*31

待合室には神城駅ミニギャラリーがあり、山や花の美しい写真が展示されていました。

ホームの案内板。背景にはスキー場の写真が使われています。

 

今日歩いた区間は、いたるところにカタクリ、フクジュソウ、アヅマイチゲ(?)などが、まるで当たり前のように咲いていました。山からの豊かな水の恵みのお陰かと思います。

そういえば、山野草の女王・シラネアオイにも会えました。

今日の中綱から白馬は、春たけなわの花の里でした。歩きながらのお花見を存分に楽しみました。

42 キハダ飴本舗*32

帰りに車で簗場駅近くのキハダ飴本舗へ立ち寄りました。

白いフクロウの建物がお店です。

このお店の『しおあめ』は、「日本海から信州松本まで牛の背に乗せて塩を運んだ道『塩の道』は名峰白馬山を望み往き来した姿を水墨画で、行者が修行中に食べたと言われた行者ニンニクを飴にしました、ほのかな香りと力が感じます。」とのこと。*33

塩の道にちなんだ『しおあめ』を期待して伺ったのですが、残念ながら現在は『キハダ飴』の方が忙しくて、しおあめは作っていないそうです。

代わりに看板商品のキハダ飴を購入しました。

「古くから『キハダ』は北アルプスの山麓で薬の原料として植栽されてきました。黒く熟した木の実の甘くほろ苦い味、そのエキスを用いて他に類のない独特の味を作りました。」*34

「キハダ飴」の看板の裏は「古川山菜園」の看板

キハダ飴本舗では、行者ニンニクの栽培・摘み取り販売、フジバカマ畑の一般開放・アサギマダラの自由観察(最盛期には2千羽から3千羽のアサギマダラが乱舞)なども行っているそうです。

今日のお土産

キハダ飴本舗の「キハダ飴」(税込500円)

味をみた人の感想は…

「味が濃い。キハダのようだわ。」

「キハダって知ってるの?」

「名前だけはね。お薬みたいだけど、美味しい。」

謎は残りますが深く考えないことにしました。

イラストは、サンテイン小谷付近から北に見える山と姫川の流れのように思われます。以前、「日本昔話の絵のようだ」と思って眺めた記憶がかすかにあります。そこまでたどり着いたら確かめたいと思います。

「塩の道」から始まる袋の裏のメッセージ。

この飴は、以前小谷村内では「キハダ飴」、大町市などでは「七十七歳飴」として別の名前で販売されていたそうです。

「私が67才の時に後10年‥は元気で楽しくこの飴を作り続けたいと思い名付けました。」「古希のお祝い品としても重宝されております。」*35現在は「キハダ飴」に統一されているそうです。

私もアラコキ。キハダ飴を美味しくいただいて、七十七才までは元気で楽しく塩の道を歩き続けたいと思いました。

今夜のお酒

白馬錦 雪どけ吟醸 生貯蔵酒(300ml、920円)

今日は山の残雪、道沿いに残る雪の山、その雪どけ水で育つ野の花をたくさん見ながら白馬まで歩きました。銘柄名にある「白馬」「雪どけ」はピッタリだろうと期待して選びました。
吟醸だけあって華やかな香りがします。今日は春のお花見を楽しみましたが、それにふさわしい香りです。飲んでみると、すっきり感のある辛さが口の中にずっと長く残ります。雪どけの沢の冷水を思わせます。

今日の塩の道歩きにふさわしいお酒を選べたと自画自賛しながら、美味しくいただきました。大満足。

*1:府川公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書房

*2:白馬さのさか観光協会 - Google マップ

*3:姫川源流湧水 - Google 地圖

*4:亀井千歩子(1980).塩の道 千国街道 東京新聞出版局

*5:YAMAP / ヤマップ | 登山をもっと楽しく、登山情報プラットフォーム

*6:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内‐歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*7:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内‐歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*8:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内‐歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*9:府川公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書房

*10:府川公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書房

*11:府川公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書房

*12:東徳寺 - Google マップ

*13:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内‐歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*14:南神城駅 - Google マップ

*15:沢渡南原庚申塚 - Google マップ

*16:道祖神 - Google マップ

*17:貞麟寺 - Google マップ

*18:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内‐歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*19:北国の春 - Wikipedia

*20:民話【雪女】の碑 - Google マップ

*21:あづみ野児童文学会(1995).白馬の民話 信濃教育会出版部

*22:沢渡北原庚申塚石仏群 - Google マップ

*23:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内‐歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*24:府川公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書房

*25:あづみ野児童文学会(1995).白馬の民話 信濃教育会出版部

*26:府川公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書房

*27:道の駅 白馬 - Google マップ

*28:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内‐歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*29:大黒食堂 - Google マップ

*30:エイブル白馬五竜スキー場 - Google マップ

*31:神城駅 - Wikipedia

*32:キハダ飴本舗 - Google マップ

*33:キハダ飴 (kihada-ame.com)

*34:キハダ飴 (kihada-ame.com)

*35:キハダ飴 (kihada-ame.com)