中綱湖の山桜(2024.4.25)

8 豊科駅⇒安曇追分駅 後編(穂高駅前から)

『7 豊科駅⇒安曇追分駅 前編(穂高駅前まで)』の続き

コース

・穂高駅前⇒安曇追分駅:1時間30分*1

11 JR穂高駅前(再掲)

12 桝形

「穂高宿は、穂高神社の鳥居前町として古くから発達し、武田氏の統治下で伝馬宿として整備された。穂高神社の大門付近が宿場の入り口にあたり、桝形が見られ、宿場の中央を矢原堰が貫流していた。」*2

穂高駅前の通りと県道309号との交差点付近にあり、そこには石造物群もあるようです。*3

今も残っているという桝形を探しました。

青いのぼり旗と並んで「石造物群」と思しき石碑がありました。

県道の南側(豊科)から撮影した写真です。信号を左は穂高神社へ、右は矢原堰へ。直進すると穂高宿へ入っていきます。

大きくカーブして、この場所だけ道の幅が広がり、通りと交差しています。

道路の右側に小さく青いのぼり旗と石碑が見えます。本来はその前をもっと細い道が通っていて、交差する通りとで桝形(直角に2度曲がる)を形成していたのだと思われます。

自動車が通るようになって、写真に向かって左側に道路幅を拡げ、真っすぐに交差点を通過できるようにしたのでしょう。

穂高宿

「安曇地方の幹線道路である千国道の場合、慶長13年(1608)に成相新田宿・穂高宿・池田宿にそれぞれ300石、200石、200石役引され伝馬制がしかれている。

幕府が寛文13年(1673)手馬(てうま)付け通し慣行を公認した結果、従来宿継ぎされていた商人荷物も付け通すようになり、中馬へと発展した。

明治6,7年には『五番組保高駅』として小川家に中馬会社が設置された。」*4

穂高宿は千国街道の中でも交通の要衝だったのです。

3 庚申塚*5

桝形から、かつての穂高宿の面影が残っている通り(県道309号)を北に進みます。

450mほど歩くと、左側(西)の道路の奥の方に庚申塚が見えます。

抱擁道祖神、庚申塔、二十三夜塔が並んでいます。

「庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。

庚申待(庚申講)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や馬頭観音や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。」*6

4 碌山美術館*7

庚申塚から350mほど。

「尖塔に不死鳥が飛翔し、外壁に焼きレンガを積み上げた西欧教会風の建物。荻原守衛(碌山)の作品を公開・展示するために1958年に開館。以来、安曇野のシンボルとして多くの人々に愛されています。」*8

荻原守衛は、明治12年(1879)安曇野の農家に生まれ、日本近代彫刻の扉を開いたといわれる彫刻家です。

残念ながら、外からは『尖塔に不死鳥が飛翔し…』という教会風の建物は見えませんでした。

 

踏切に戻り、大糸線沿いのレンガ敷きの道へ入って、「穂高橋」を目指して1.1kmほど歩きます。

5 石仏群・道祖神(貝梅)

貝梅地区あたりの石仏群や道祖神です。

貝梅は「土器が出土する古くからある地区。当地で烏川と乳川(ちがわ)が合流することもあって河川の氾濫に悩まされ続けた。」*9

6 穂高橋

堤防道路を上るとすぐに穂高橋です。

拾ヶ堰沿いに歩いた「あづみ野やまびこ自転車」の起点*10がこの先にあります。(松本駅⇒豊科駅①『飯田の渡し 後編(新橋⇒豊科駅)』の『23 拾ヶ堰』参照)

 

堤防道路に上がると、烏川、大糸線の鉄橋(青)、国道147号の穂高橋(赤)が見えます。

ここに座って暫くぼ~っとしてたら気持ちよさそうな景色です。ひとたび暴れ出すと大変な川だったとはとても思えません。

烏川は穂高橋のすぐ下流で乳川と合流して穂高川となり、さらに2.5kmほど下流の白鳥飛来地付近で高瀬川や犀川と合流します。

 

大糸線の踏切へ差し掛かると、運よく特急あずさ号が大町駅方面へ通過して行きました。

でも、後姿が「立入禁止」の立札と被ってしまったのは運が悪い…。

7 わさび畑

道路の反対側にはわさび畑があります。

烏川の河床より少し深く掘ってあるように見えます。この辺りではこれくらい掘れば地下水がこんこんと湧くのでしょう。

 

わさびは安曇野の特産品です。ここまで来たら、ちょっと寄り道して、大国屋わさび園さんのわさび漬けを買いたくなります。

8 大国屋わさび園*11

穂高橋から270mほど穂高駅方向(南)へ戻ると「わさび」の大きな看板があります。

こちらのわさび漬けは、少し茶色い吟醸酒の酒粕の中に、茎ではなく、わさび芋の荒刻みがぎっしりと詰まっていて驚きます。

今夜は安曇野ブルワリーさんのビールと合わせてみようと思います。

ご主人は話好きで、わさびや地元のことなどをお聞きすると、親切に教えてくれます。

9 かじかの里公園*12

大国屋さんから国道147号を800mほど進み、「かじかの里」の立派な案内板から左(西)へ入ったところにあります。

かつてはかじかの養殖をしていたそうですが、現在は親水公園やキャンプ場になっています。トイレがあります。

10 養魚場*13

水車が回り、大きな魚が泳いでいます。豊富な湧水を利用して育てられた信州サーモンやニジマスは安曇野の特産品です。

11 JR有明駅前

かじかの里から400mほど歩き、寄り道して有明駅へ向かいました。

駅前の「有明のパン屋さん」でパンを買い、歩きながら食べたかったからです。

でも、本当に残念なことですが、すでに閉店していました。手作り、美味しい、安い、三拍子揃っていたのですが…。

空腹は安曇追分駅まで我慢することにして、有明駅を見に行きました。

「駅名を有明と名乗るが地籍は北穂高である。当の有明地区は当駅から西へ2kmほどの場所にある。由来としては有明山とする説と有明地区への入口を意味していると考えられている。

1980年代まではほとんどの急行列車が穂高駅を通過して当駅に停車した(アルプス、つがいけ、くろよん など)。

夜行急行列車もすべて停車し、北アルプス燕岳への登山口として、夜行列車や長距離列車に接続して中房温泉行のバスが発着し、早朝もタクシーが待機してにぎわった。」*14

中房温泉から燕岳、そして槍ヶ岳への縦走路は「表銀座」と呼ばれる人気の登山コースです。

12 有明山通り

国道や大糸線の西側を並行するように進み、もうすぐ安曇追分駅というところで、グーグルマップに表示のある「有明山通り」と交差しました。

安曇野南部のシンボルが常念岳ならば、北部のシンボルは有明山です。黒々として、どっしりとして、「信濃富士」と呼ばれるだけあって、存在感ありです。

写真の有明山左側(南)の渓谷の奥に登山基地の中房温泉があります。

13 橋本屋食堂*15

安曇追分駅へ着きました。豊科駅まで戻る列車を待つ間に、駅前の橋本屋さんで昼食をとることにしました。

お店の壁は、ご主人が趣味で描いた絵画(水彩画?)で埋まっています。油粘土に彩色した動物のフィギュアは手が込んでいます。コロナ禍の時にすることがなくて作ったそうです。

 

壁に貼ってある手書き(毛筆)のメニューを見て、「手打ち田舎うどん」(850円)を注文しました。メニューの紙が一番大きいので、きっと書く(描く)ことの好きなご主人のおススメだと思ったからです。

野菜たっぷりで見事なボリュームです。うどんは平べったくて、「田舎」という名前の印象よりもつるつると食べやすい。ここまで何も食べずに歩いて来たので、みそ味のおつゆが体中にしみ渡ります。

小鉢は、切昆布の煮物と野沢菜のおろ抜き(おひたし)。野沢菜は畑で抜いてきたそうです。もう秋だなあと感じます。

この日は10月12日。奥さんは「今朝は13℃で寒かったので石油ストーブを焚いている」とのこと。寒い日の田舎うどんはとりわけ美味しかったです。

14 JR安曇追分駅

レトロな駅舎。北アルプスや安曇野の風景によく似合います。大糸線の昔の駅は、こんな感じの駅が多かったように思います。

「1915年(大正4年)の開業当初はアルプス追分駅と名乗っていたが、北アルプスの登山口と間違えて下車する人が多く、また本来の登山口である有明地区からの要望もあって、1919年に安曇追分駅に改称した。」*16

こんなことが本当にあるのですね。地図で確かめてみると、有明山や中房温泉へは有明駅より安曇追分駅の方が近いのです。

おまけに「アルプス追分駅」「有明山通り」なんて魅力的な言葉が並べば「登山口はここだ!」と思い込むのも無理はなさそうです。

それにしても「アルプス追分駅」いい名前ですね。
この駅には池田鉄道が乗り入れていて、大糸線との分岐点でした。この点でも追分です。

 

駅舎の南に花壇がありました。

「安曇追分駅を愛する会」の看板があります。

「LIFE LINE JR ♡ Fine View Spot Wonderful!」と書いてあります。本当にそのとおりのスポットです。

春から秋まで楽しめるようにいろいろな種類のお花を植えてあります。花壇もFine Viewです。

看板の裏には消えかけた文字で何か書いてあります。

読めないところが多いのですが、「昔、この地を塩の道糸魚川街道が通っていた。糸魚川街道が池田通りと分岐するところを追分といい、鉄道敷設の際、このことに因んで追分と命名された」という内容のようです。
「アルプス追分駅」から「アルプス」は外れても、駅を愛する地域の方々の強い思いで「追分」は残ったのでしょう。

 

駅の待合室には生け花が飾られていました。かつての小荷物窓口のカウンター(?)を上手に活用しています。

大正時代の人々の駅を愛する思いは、駅名、花壇、生け花…という形で、今も生き続けているのです。

 

ここから先は高瀬橋で高瀬川を渡り、池田町へと進みます。安曇追分駅から信濃大町駅までの区間は大糸線からだいぶ離れますし、コースタイムも5時間ほどかかります。

そこで、この区間は日を改めて歩くことにします。

今日のお土産

原野製菓*17のお菓子たち

中央上の「よろくまんじゅう」(90円)は、お店の看板にも書いてある、文字通りの看板商品。食べた人の感想は「こし餡が美味しいわ!」。

その下の「しおようかん」の入っているドラ焼き(160円)は、よく見ると、ドとラが音符になっています。こういうの、駄菓子を買いに来る子どもたちは大好きでしょう。

ピンクの「すあま」(240円)は昔ながら。右上の「すもも酢漬け」(54円)は目が覚めるような酸っぱさでした。これも子どもたちの話のタネになりそう。面白いお店です。

今夜のお酒とおつまみ

安曇野ブルワリー*18の地ビール

左から、爽風セゾン、エールSUI、フルーツエール。(どれも330ml、500円)

それぞれ個性があって、飲み比べるのが楽しいです。大糸線利用で車を運転しないのなら、穂高駅前のお店で1本くらい飲んでも大丈夫、歩けそうです。

大国屋わさび園*19のわさび漬け

お値段はレシートを紛失。たしか140g入りで500円くらいだったと思います。

わさび芋の荒刻みがぎっしり詰まったわさび漬け。ビールに合うかなあ?と、焼き海苔に海苔わさびを載せてみたら、結構いけました。

わさび漬けの方は、自家製の糠漬け(大根)に載せてみたら、日本酒が欲しくなりました。

後日伺ったら「特注」(160g:税込1,080円)というのがありました。刻んだわさびが通常の1.5倍入っているそうです。わさび、海苔わさび、みその三種類ですが、いつもあるわけではないそうです。

ご主人が「あと二日置いて食べた方が美味しいよ」と教えてくれました。海苔わさびは強烈だけどさわやかな辛さ。やっぱり白ご飯に合います。

*1:府川公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍

*2:穂高宿 - Wikipedia

*3:田中元二(1997).塩の道 千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のためにー 白馬小谷研究社

*4:穂高町誌刊行会編集(1991).穂高町誌歴史編上 穂高町誌刊行会発行

*5:抱擁道祖神 庚申塔 二十三夜塔 - Google マップ

*6:庚申塔 - Wikipedia

*7:碌山美術館 - Google マップ

*8:碌山美術館 – Rokuzan art museum

*9:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内‐)歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*10:あづみ野やまびこ自転車道 起点 - Google マップ

*11:大国屋わさび園 - Google マップ

*12:かじかの里公園 キャンプ場 - Google マップ

*13:しなのや養魚場 - Google マップ

*14:有明駅 (長野県) - Wikipedia

*15:橋本屋食堂 - Google マップ

*16:安曇追分駅 - Wikipedia

*17:原野製菓 - Google マップ

*18:Azumino Brewery - 安曇野ブルワリー - Google マップ

*19:大国屋わさび園 - Google マップ