2024(令和6)年5月24日(金)
コース
・信濃森上駅⇒白馬駅:40分
・白馬駅⇒神城駅:1時間30分*1
23 JR信濃森上駅前(再掲)
塩島を出発するとすぐに信濃森上駅があります。
駅前から南へ進み、松川橋を目指します。
横田石材店さん*2の角にあった道祖神。あまり目にすることのない新旧の対比です。
24 松川の渡し跡*3
信濃森上駅から900ⅿほどで松川橋(国道148号)に着きます。
松川橋から松川の流れと白馬連峰
「松川は、白馬村で姫川に流れ込む2大支流の一つ。もう一つは平川。両川とも姫川の本流より大きい。松川は白馬岳を源としていて上流には『白馬大雪渓』がある。」*4
ここは絶景ポイントですが、あいにくの曇り空で白馬三山はよく見えず、写真では大雪渓の位置もよく分かりません。
でも大雪渓の雪解け水が雪代となり、少し濁って流れ込んでいます。今夜飲むお酒は『大雪渓』にしよう!と決めました。
追記
6月14日、次の区間「千国越え」(栂池⇒南小谷駅)を歩いた日の朝、松川の写真を撮り直しました。
白馬三山。左から鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳(本峰)。大雪渓は杓子岳と白馬岳の間に隠れています。
「いわゆる霊山ではないが、山の祟りを恐れてか、女人禁制が固く守られてきた。女性が気兼ねなく山に登れるようになったのは昭和になってからのことである。」*5
松川の渡しはこの写真の左側(上流)にあったそうです。鯨の尾のような形の屋根は藤森酒店さん*6。右側の右側の橋が松川橋。
松川橋から南の千国街道は、国道148号の西側を並行するように通っています。
25 平川八幡宮・石造物群*7
松川橋から白馬高等学校の西側を歩いて800ⅿほど。
神社の北側、道沿いにある庚申塔
平川八幡宮
26 お堂*8
平川八幡宮から350ⅿほどのところにあります。
お堂の中には石造りのお地蔵様が見えます。
お堂前の案内標識。お堂の前の交差点を東へ350ⅿほどでJR白馬駅があります。
27 おおしも食堂*9
お堂の前から白馬駅の方(東)へ約100ⅿ。
時間もお昼時になりました。ここから先の千国街道沿いには飲食店がなさそうです。
地元に住む友人がお勧めの「おおしも食堂」へ入りました。「地元の評判がよい。白馬は観光地だけど、このお店は観光地価格ではない」とのこと。
入ってみるとほぼ満席。作業服の方、子どもさんと一緒のご家族、外国の方…、とても賑わっていました。
メンチカツカレー(850円)とみそ汁(50円、食数限定)
メンチカツは揚げたてで熱々。カレーは少し甘口の家庭の味で子どもさんでも食べられそうでした。ボリュームも十分で、何とか残さずに食べることができました。
シメジや野菜の入ったおみそ汁、50円は安い!気温の高い日で汗もかいたので、塩分・水分補給にと注文したのですが、これは正解でした。
お店が混んでいて待ち時間は少し長かったのですが、民芸品がたくさん飾られた店内で足を休めることができ、よい昼休みになりました。
28 薬師堂*10・石仏群、薬師の湯
お堂前から100ⅿちょっと。
薬師堂と石仏群、それに薬師の湯(足湯)*11が一か所に集まっていました。
足湯は東屋の中にあり、無料で自由に利用できるそうです。グループのお客さんたちが気持ちよさそうに会話を弾ませていました。
でも、「お湯に足を入れたら、次に歩き出すのがつらくなりそう」と思い、やめておきました。
「石碑群」*12と表示されています。
空峠庚申塚石仏群を目指して南へ進みます。
ヒメシャガに囲まれた道祖神
八方尾根と白馬ジャンプ競技場*13
もうだいぶ前のことですが、このジャンプ台に上ったことがあります。選手が滑り降りるスロープが急なのに驚き、足元から下が見えてとても怖かったことを覚えています。
どことなく愛嬌のある仏様。可愛らしい毛糸の帽子を被っているからか、手が大きいからか。
29 空峠庚申塚石仏群・牛方供養塔*14
薬師堂から約1.4㎞。
この場所は平坦地なのに「空峠」というのは何故でしょうか。空峠へ通じる道沿いにあるからか?と思い、地図で調べてみたのですが、近くに空峠は見当たりませんでした。
追記(2024.8.27)
『地図から信州が見えてくる』(今尾恵介著.2022.信濃毎日新聞社)に以下の記述がありました。
「深沢空峠村は明治45年(1912)の地形図に深澤と空峠の2集落が見えるが、昭和5~6年修正図では『深空』と合成。今では略して深空(みそら)地区という。西側には『みそら野別荘地』もある。」
「地形図」として1:50,000「白馬岳」が2種類(1912年、1939年及び1940年)掲載・比較されています。
元々、この地は空峠という地名だったのですね。それでも、平坦地に「峠」とは?謎は残ります。
そこで辞典で「峠」とういう言葉の意味を調べてみました。*15
「峠という字は日本で作られたもので、道が山嶺を越えて上り下りするところからできた。鞍部をタワと呼ぶところから、そこを越えるのでタワゴエが転じてトウゲとなったという説と、そのような場所には境界(境)が多く、境の神、塞(さい)の神あるいは道祖神などがまつられるので、その神に安全を祈って手向(たむ)けをするところから、タムケがトウゲになまったという説とがある。
後者が行為であるのに対し前者は地形を指している点で、位置としての峠は前者から起こった名称らしく考えられる。
しかし後者が説くように、そのような場所は霊地として神仏がまつられ、旅人が休む茶屋が設けられて他郷の人と交流する場でもあった。 執筆者:千葉 徳爾」
この場所は神に安全を祈って手向(たむ)けをするところであり、昔は「ソラ タムケ」とでも呼ばれていたのかもしれません。
牛方供養塔
方形に並んだ石仏群の北西の角にあります。
「深空の牛方3名により寛政2年(1790)に立てられた。『牛方』銘のある供養塔は大変珍しく貴重である。」*16
「牛を使って荷を運ぶ人を牛方といい、牛方は1頭の牛に2俵(1駄)づつ付け、一人前の牛方になると6頭を追い、これを『牛ヒトメエ』と呼んだ。」*17
確かに「牛方」と彫ってあります。その下には牛方3名の名前も見えます。
千国街道で牛が活躍した理由は次のようです。
「平たんな道には馬がいいが、険しい山坂の塩の道には、爪が二つに割れていて踏んばり強い牛の方が適していた。
山中で狼に襲われても牛は闘争本能が強く、荷縄を切って6・7頭の牛を周りに置けば狼も近づけなかった。」*18
牛方の仕事は、時には頼りになる牛がいたとしても、危険と隣り合わせだったのです。
時代劇に登場する上杉謙信が被っているような頭巾を被り、両手は印を結んでいるのか、経典の巻物でも持っているのかな?深く仏道に帰依している姿を表しているようです。
座っているのは蓮の花でしょうか。仏のお導きで成仏できたことを表しているように思われます。
風切り地蔵に祈るのは自然との対話とすれば、こちらは故人となった牛方との対話。旅の先達と向き合うことで、足を止めて自らの旅についても少しばかり思いを巡らせる機会となります。
これまで愛馬を供養した馬頭観音はたくさん見てきましたが、それは人でなく馬。西行法師像や弘法大師像も拝観しましたが、こちらは出家や仏となった人。
牛方は在家の庶民で、油売りと同じように塩の道を歩いていた人。しかも人物像なので、とても生々しく、重く感じられました。自分のことも含め、塩の道を往来する人たちの無事を願わずにはおられません。
30 深空神明社*19
空峠庚申塚石仏群から100ⅿちょっと。「みそら」と読みます。
神社の入り口付近にある祠
この辺りは「みそら野」という別荘地で、おしゃれなロッジやお店がたくさんあります。道路沿いにも花壇が整備されていました。
31 平川の渡し跡*20
深空神明社から南へ450ⅿほど。
平川に着きました。「日本海まで51㎞」は励みになります。
朝、神城駅へ行く前に車で立ち寄って平川の写真を撮りました。この時はまだ雲が少なかったので、白馬三山もわりとよく見えました。
「五竜岳を源とする。松川も同様であるが大変な暴れ川であった。川の両側を松林で覆われ、松林の中には古来からの石積みの堤防が幾筋も延びている。」*21
白馬三山の左に目を向けると、唐松岳と八方尾根。河原ではニセアカシアの花が盛りでした。花は天ぷらで食べられます。花を房ごとジョッキに入れ、ビールを注いで飲むと甘くなるといいます。
追記
6月14日、次の区間「千国越え」(栂池⇒南小谷駅)を歩いた日の朝、平川の写真を撮り直しました。
平川に架かる橋は、1998年に白馬でも行われた長野オリンピック・パラリンピックに合わせて造られた「白馬オリンピック大橋」*22
32 秋葉様
平川から南へ350ⅿほど。
別荘地の外れの五差路に囲まれた草原に大きな楢の木(?)があります。祠は気持ちよさそうな木陰にあります。
祀られているのは火伏の神様「秋葉様」
石造りの祠は小さ目ですが、なかなか手の込んだ造りだと思います。
33 飯森神社*23
秋葉様から500ⅿ。
「水神を祀る。古来雨乞いの社として知られる。八方山の八方池(古称は唐沢池)に奥社がある。雨乞いの神事の時は神社から平川上流の源太郎を経て八方池(唐沢池)へ登った。」*24
庚申塚・石造物群*25
神社の南側の道沿いに庚申塚などの石造物がたくさん並んでいます。
庚申塚の南には小さな公園のような場所があり、古い飯森道標(中央)を囲むように新しい石造物が設置されています。飯森道標の左には千国街道を説明する石碑、後方には馬方のレリーフのある石碑。
馬方のレリーフと「明日を拓く」の文字。平成4年の圃場整備の際に設置されたようです。塩の道といえば牛方が多かったそうですが、白馬村なので馬方なのか…?
34 飯森道標
「右ゑちご・左やま・道」と刻んであるそうです。*26
35 飯森城址
飯森道標の南に飯森城址のある「一夜山」が見えます。
「弘治2年(1556)、山県昌景(武田)が白馬地方に進攻すると、武勇を知られた飯森盛春(上杉)は抵抗すると思われたが、一晩のうちに逃亡したことから一夜山城と呼ばれた。」*27
「飯森集落の裏山『一夜山』に仁科氏の支族であった飯森氏の居城跡。城は小規模であるが、望見する格好の場所。飯森氏は武田勢を迎え撃つため、脆弱なこの城を引き払い、小谷の中谷にある平倉城に拠った。」*28
一夜山は標高851m。飯森集落から高さ120ⅿほど盛り上がった丘のような小さな山です。白馬連峰の山々とも切り離された離れ島のような地形なので、大軍に周囲を取り囲まれたら逃げ場もなかったと思います。
十王堂を目指して南へ進み、飯森集落へ入って行きます。
石造物群
道祖神
36 十王堂*29
飯森道標から400ⅿ。
お堂の壁には消火栓や時計が付いていました。
そういえば、青木湖畔の堂崎観音堂には半鐘らしき釣鐘が吊り下がっていました(「§13中綱⇒神城 前編」内「9堂崎観音」参照)。お堂は非常時対応の役割も担い、現在の公民館のような存在だったのでしょう。
お堂の中にはケース越しに金色の仏様が並ぶ姿がありました。
37 長谷寺*30
十王堂の角を西へ170ⅿほど。お寺の裏山は一夜山。
「飯森盛春の妻『光姫』の墓の他、多くの石仏が並ぶ。寺を囲むように立つ老杉は明徳2年(1391)に献木されたもので、樹齢は500~600年と推定される。」*31
光姫の墓は、写真の中央、杉の巨木に囲まれた場所にありました。
参道には数多くの石仏が並んでいました。比較的小さくて古いものが多いように思いました。
枝垂れ桜
根元の周辺は一面、シラー・カンパニュラータ(釣鐘水仙)に覆われていました。
38 飯森南村道祖神
長谷寺から南へ約350ⅿ。JR大糸線の踏切を渡ったところにあります。
39 飯田北原庚申塚石仏群*32
飯森南村道祖神から550ⅿほど。国道148号に出て50ⅿほど南へ歩くと道路沿いにあります。
数多くの石仏がひしめくように隙間なく並んでいます。
庚申塚で国道を渡り、斜め左(東側)の細い道に入ります。
40 飯田北村道祖神
飯田北原庚申塚石仏群から約270ⅿ。「そば処山人」さん*33の裏(東)にあります。
大きな道祖神です。バイクでツーリング中の若い男女数人もこの道祖神を見ていました。
ここから5・60ⅿほど南の丁字路で千国街道は途絶えています。*34
国道へ出て、大黒食堂さん*35の前を通り、神城駅へ向かいます。
大黒食堂さんは、以前簗場駅から神城駅まで歩いたとき、名物のソースかつ丼をいただきました。(「§14中綱⇒神城 後編」内の「40大黒食堂」参照)
JR神城駅(再掲)
飯田北村道祖神から約400ⅿ。
車を停めてある神城駅へ戻りました。いつものことながらコースタイムよりだいぶ遅くなってしまいました。この後見学するつもりだった「白馬歴史民俗資料館」は後日にします。
この区間は、白馬連峰の雄大な景観が最大の魅力でしたが、残念ながら今日は雲の多い一日でした。ここを歩くなら晴れの日を選びたいものです。
これで白馬村を南から北まで歩き通したことになります。感想は「白馬は花と山の里」です。
今日のお土産
塩島新田宿「木庵」*36さんのお菓子(§15 前編の「18木庵」参照)
「バタードラヤキ」(250円)
「ラム酒の香りが効いていて美味しい!」
「甘辛姫くるみ」(250円)
「うん、いいじゃん。美味しいじゃん。いい味してるは、胡桃!醬油だか味噌だか、いい味してるよ。」
私も一粒分けてもらいましたが、シナモンのような香りもして、確かにこれは美味しい。
袋には「くるみ(白馬産)」。お店のショーケースには「うちのくるみです」と書いてありました。自家栽培のクルミです。
今夜のお酒
「大雪渓 雪中育ち 特別純米 生酒」(300ml、税込700円)*37
帰りがけに神城駅の南500ⅿほどのところにある「道の駅白馬」*38で購入しました。
「白馬の雪室の中で三か月熟成」とのこと。香りは穏やか。少し辛口ですが、その辛さに半分隠れるように甘さ・旨味が感じられます。繊細というか、上品というか、美味しい日本酒です。
平川の渡し付近では残雪の白馬三山が大きく目の前に広がっていました。その写真を見つつ「白馬の大雪渓はこの辺りに隠れているのかな…」と想いを馳せながら、美味しくいただきました。
「白馬ビール」IPA、ペール、アンバー(各300ml 税別545~570円) *39
千国越えを歩いた時、最後に立ち寄った石川商店(「§19 千国越え 後編」内の「37石川商店」参照」)で「白馬村の地ビール『白馬ビール』は村内のスーパーマーケットでも売っている。」と教えてもらいました。
そこで、帰りにデリシア白馬店*40で購入しました。
IPA:柑橘系の香りが強く感じられました。味わいも濃厚で、飲みごたえのあるビールでした。
ペール:真っ白くきめの細かい泡がよく立ちます。さわやかな香りがして、口当たりがスムーズ。私には適度な苦みが後を引いて、食欲が増してきます。
アンバー:渋さ?というか、苦さ?というか…があり、三本の中では一番どっしりとして飲みごたえがありました。
三本ともクラフトビールらしい?、「濃い」感じがします。
これから暑い季節になりますが、テントの下で涼みながら、ピザやアヒージョなどと一緒に味わうにはぴったりだと思いました。酷暑に負けない元気が貰えそうです。
*1:別府公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍
*4:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*5:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*15:峠(トウゲ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)
*16:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*17:小谷村観光協会(2022).千国街道 塩の道を歩く
*18:小谷村観光協会(2022).千国街道 塩の道を歩く
*21:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*24:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*26:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*27:別府公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍
*28:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社
*31:別府公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍
*34:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社