道は未知 / 大糸線利用で歩く塩の道

千国街道、千国古道、西廻り、塩尻へ

       中綱湖の山桜(2024.4.25)

千国街道 16 栂池(白馬大池駅)⇒神城 前編(信濃森上駅前まで)

コース

・白馬大池駅⇒バス停「松沢口」:8分(小谷村営バス)

・松沢口(栂池高原)⇒信濃森上駅:2時間*1

ラインが描画できないため空白になっている部分がありますが、実際には徒歩道があります。

 

JR神城駅前に車を置き、6:43発南小谷行の電車で白馬大池駅へ。

駅の中に登山補導所と宿泊観光案内所が同居しています。

1 JR白馬大池駅

7:06着。ここで7:46発の栂池高原行のバス(小谷村営)を待ちます。

駅名に「白馬」の文字がありますが、ここは小谷村です。

「駅名は駅西方にそびえる白馬乗鞍岳の山頂付近にある白馬大池に由来する。

1947年(昭和22年)12月1日:国鉄の川内下仮乗降場として開業。1948年(昭和23年)9月25日:白馬大池と改称して駅に昇格。」*2

ホームの案内板は白馬大池の写真。咲き始めたミズバショウの大群落のようです。

待合室にあった掲示です。バスが増えれば便利になります。運賃が大糸線と同じというのはとてもうれしい。

ホームの下に咲く野の花

 

バスを待つ間に駅前の姫川を見に行きました。「日本海まで43㎞」とあります。

千国街道(松本・糸魚川)は約120㎞。だいぶ海へ近づきました。

姫川に架かる「つがいけおおはし」の欄干には不思議なモニュメント。何を表現しているのか詳しく知りたくなります。

 

南小谷駅方面行きの小谷村営バスが来ました。バスが大きくて新しいのに驚きました。

この後、私が乗った栂池高原方面行のバスも同じタイプでした。

2 松沢口*3

栂池高原のバス停「松沢口」着7:54。8分間の短い区間でしたが、道はかなりの急登で歩かなくてよかったです。

バスを降りるとそこは「千国越えコース」の入り口。次回の区間です。

毎年5月に開催される塩の道祭りで歩く人気コースなので今から楽しみです。

バス停「松沢口」

 

標柱「林頭」

小谷村に入ると、要所要所にこのような雰囲気のよい石造りの標柱が設置されています。

知らない道を歩く者にとってはとても心強いです。

 

黒シジミは見たことがありません。小谷村は自然豊かですね。

3 松沢薬師堂・石造物群*4

薬師堂は松沢口から約650ⅿ

「『卍』は逆さ卍になっていて珍しい。石造物が多く立ち並び、前山百態観音の一部がここにある。沢の南隣には茶屋や店屋があった。

また近くに『一里塚』があったと伝える。飯森のお堂~空峠のお堂~切久保のお堂~松沢のお堂~千国宮下のお堂などと、この辺りはお堂付近に一里塚があったのが特徴」*5

 

逆さ卍を探したのですが見つかりませんでした。

帰路、車を運転中にふと思いついたことがありますので、後日確かめてみたいと思います。

「前山百体観音とここの観音を合わせて百体とされている。」*6

前山百体観音には次の「千国越えコース」でお会いできます。楽しみです。

 

松沢薬師堂附近の風景

田植えの終わったばかりの水田と残雪の山々。生命の息吹を感じるような、山国の遅い春です。

栂池パノラマ橋

 

村境を越えて小谷村から白馬村へ入ります。海抜は約800ⅿ。

 

大黒天と道祖神

4 落倉自然園入口*7

松沢薬師堂から約700ⅿ。

道路沿いに案内板、石仏群、駐車場、トイレなどがありました。

ハンノキの林の中に、ミズバショウ、ザゼンソウ、リュウキンカなどが群生するそうです。

ミズバショウのシーズンにでもゆっくりと遊歩道を歩いてみたいです。

案内板の下に置いてあった「熊に注意」

午後、出会った下校中の小学生は皆、カバンに大きな音のする鈴をつけていました。

本当に要注意です。

巨木の周りの石仏群

 

風切り地蔵を目指して「千国北城線」の道路を南へ進みます。

東の方角に見える浅間山

「富士浅間神社が浅間山(923ⅿ)の頂上にある。延宝8年(1680)の造立。

浅間山は姫川沿いの雨中(南小谷)から見ると、円錐状に切り立っていて、中世の烽火台であったとも伝える。」*8

ちなみに「浅間」は「せんげん」と読むようです。

 

ウツギ

 

ガマズミ

 

アジサイ

5 風切り地蔵*9

落倉自然園入口から400ⅿほど。

「大風を断ち切ってくださる仏」*10とのこと。

民話「雪女」には吹雪の夜の出来事が描かれていますが*11、この辺りも冬には激しい吹雪が吹き荒れたことでしょう。

「小蓮華岳ー落倉-柄山峠の3つの風切り地蔵は一直線に並んでいる。この直線の延長上より冬至の太陽が昇ってくる。」*12

なぜ風切り地蔵を一直線に配置したのでしょうか。知りたくなります。

 

風切り地蔵の南に、テーブルやベンチがあり、「みちくさ」の看板が掲げられていました。油売りの私としては、当然道草を食って一休みしたくなります。

ヒメシャガの花が咲いていました。他にもギボシやクリスマスローズなどが植えられています。いいですね~。

6 昔の道 

本来の千国街道は、風切り地蔵付近から車道を離れて東寄りに南下し、楠川に架かる瀬戸の橋へ通じています。*13*14

しかし、風切り地蔵から200ⅿほどの区間は、現在の地理院地図*15に道路の表示がありません。廃道になっているのかも、と思っていました。

風切り地蔵前の交差点から見ると、その場所は大きな空き地になっています。もしかすると…と思い、空き地の南東の角へ行ってみました。

すると、何やら案内板のようなものが見えてきました。

写真の手前が風切り地蔵前の空き地、左奥はグラウンド*16です。

 

「塩の道 千国街道」の案内板がありました!

どうやらこの草の道が千国街道のようです。

「楠川~落倉の区間は昔のままの道が良く残されている。夏は蝦が多いので注意」*17

林の中を歩きます。標柱があるので安心して進めます。まだ蝦もいませんし。

7 落倉の横断歩道?落倉の渡し?

200ⅿほど進むと舗装道路と交差します。ここはまるで横断歩道のように石が敷かれていました。

面白い発想ですね。舗装道路を歩くより自然な感じがします。

「落倉の横断歩道」とでも名付けたくなります。

敷き石は最小様々で、姫川か松川、あるいは平川あたりの河原にあったものかもしれません。

この敷石を河原に見立てれば「落倉の渡し」です。

交差点を過ぎると標柱がありました。道は間違いありません。

 

道を塞ぐ倒木

 

腰掛けるのちょうどよい「ベンチの木」

 

道はえぐれたように周囲より低くなっています。

土手状のところに歩荷衆は荷を下ろして休んだそうです。*18

8 瀬戸の幅

傾斜が急になり、足掛かりにする岩が並びます。道も狭く、ジグザグに。ここが「瀬戸の幅」と呼ばれる場所のようです。

それにしても牛方ひとりで6頭の牛を追ってこの場所を行き来したのですから、大変な難所だったと思います。

塩の道の道幅については「背中に二俵の荷をつけた牛同士が安全にすれ違える道幅が基準で、それが九尺(約2.7ⅿ)だった。道は常に整備され、牛と牛方、ボッカ達が行き交う街道だったのである。」*19とのこと。

しかし、この辺りの道幅はとうてい九尺もなく、荷を積んだ牛のすれ違いはとても難しそうです。「瀬戸橋から上は道が狭い」⇒「瀬戸の幅」と呼ばれたのでしょうか。

それに、片側交互通行になるような仕組みやルールがあったのでしょうか。

9 落倉道標

瀬戸の幅の道沿いにありました。

「楠川の瀬戸の橋を渡ってつづら折りの坂『瀬戸の幅』にある。自然石に『右ゑちご』『左やま道』と刻む。」*20

 

瀬戸の幅の南の入り口付近

10 狼の話

「朝早く出て一日で大町まで行ってくるので、切久保あたりで暗くなる。狼が、楠川の辺から馬の後へついてくるんだそうです。

その時あまり後を見たりこわがったり、追うといけない。知らないふりをして落倉辺まで来たとき『御苦労だったな、もう帰ってくれや』というと、狼は黙って山の方へ行ってしまったという。

狼がお産をしたときは、おこわやおかずを作って持って行ったというし、人を襲ったという話も聞いていません。」(南小谷親の原山田義家氏談)」*21

11 瀬戸の橋(楠川)

風切り地蔵から昔のままの道を800ⅿほど。

「楠川は『栂池自然園』を源とする川。瀬戸の橋の下には『おかるの穴』がある。」*22

楠川に架かる瀬戸の橋。写真の橋の向こうから落倉への上り坂になります。

12 おかるの穴*23

橋のたもとに「おかるの穴」の案内板があります。

「おかるの穴」*24

切久保におかるというとても働き者の嫁がいた。夫や姑と仲よく暮らし、近所でも評判であった。

あるとき、姑に「みそ汁がしょっぱい」と言われ、言い返してから仲が悪くなってしまった。なんとか姑をこらしめたいと考え、氏神様の宝物の七道の面のうち、いちばんおっかない顔の鬼の面をかぶって姑をおどした。

計略はうまくいったが、どうしたことか鬼の面は顔にぴったりとくっついてはなれない。おかるは氏神様のたたりだと気づき、楠川の横穴に身を隠した。

家の者はおかるを見つけたが、おかるは「神のばちがあたり、こんな姿になった私をどうかそっとしておいてください。」と洞窟の中で念仏を唱えていた。七日めにはその声み聞こえなくなった。

その後、楠川の岩穴を「おかるの穴」といい、どんなに大水が出てもこの穴がかくれることはなかった。これは氏神様がおかるのなきがらを、せめてもの慈悲で水攻めから守っているのだという。

 

ちなみに、「氏神様」とは「霧降宮(切久保諏訪神社)」*25

 

案内板の脇から楠川へ下る方向へ踏み跡がありました。おかるの穴を見るためのものでしょうか。

しかし「そっとしておいて」というおかるの気持ちや氏神様のお慈悲を思うと、見に行く気にはなれませんでした。

それに、災害でおかるの穴はほとんど埋もれてしまったそうです。*26

 

千国北城線の道路に戻り、切久保諏訪神社を目指します。

跨線橋のようなものが見えてきました。歩くスキー用の橋だそうです。

 

こちらは歩く人のための「塩の道通り」

 

歩くスキー用の橋がもうひとつ。

13 切久保諏訪神社*27

おかるの穴から約1.1㎞。

「細野・嶺方の諏訪神社とともに、白馬諏訪三社の一つ。別名『霧降宮』と呼ぶ。

朱印状・鰐口・七道の面・薙鎌・絵馬など多くの社宝を有する。境内に『お頭(とう)の木』(二代目)があって、諏訪神社から大祝(おおほうり)一行の奉持した薙鎌(なぎがま)などをこの木に必ず安置したと伝える。

小谷村ガニ原の『お頭の岩』と同じ役割を持つ。諏訪信仰を知るうえで貴重」*28

敬老の日には七道の神事がおこなわれるそうです。*29

「おと神様」*30

百匹の鯛を届けようと、一人で夜ふけに山越えを始めたボッカの七兵衛。暗闇の中で青い光だけがぽつんと二つ見えるのは山犬の目。山犬の声がしたかと思ったとたん、急に背中が重くなった。

『きやがったなあ』と、七兵衛は背の荷を下ろし、大きな鯛を二匹山犬に見せてから、力いっぱい遠くへほうり投げた。そして切久保の知り合いの家をめざして一目散にかけ出した。

ころがるようにたどり着いた七兵衛に『よく落ち着いてそれだけやったもんだいなあ』とみんなで喜んでくれた。

そののちも大ぜいの人が山犬におそわれ、かみ殺されたり、たいせつなあずかり物をぜんぶ山犬に投げ与え、命からがら逃げのびたりした。

そこで、越後、越中、松本、上田、北信濃の大店や四ヶ庄(しかじょう:白馬盆地)の人々が相談して、山犬よけのおと神様をおまつりした。

切久保の郷社、諏訪神社の鳥居そばにある。今でも七年ごとにおと神様のお祭りがある。

鳥居のそばには確かに神様が祀られています。「おと神様」と推察されます。

今はもう狼は出ませんが、「熊が出ませんように」と手を合わせました。

本殿の前にお御籤を結んだ木がありました。「お頭(とう)の木」(二代目)でしょうか。

他にそれらしきご神木は見当たりませんでした。

石造りの太鼓橋。せせらぎの水の流れも清らかです。

杉の巨木、社殿へ登る石段…、決して大きくはない神社ですが、清々しい雰囲気が漂っていました。とてもよい場所です。

 

切久保集落の街灯には「霧降の里」の文字

14 切久保庚申塚・石造物群*31

切久保諏訪神社から200ⅿほど。

「道教では『人の腹には三匹の虫が棲んでいる』といい、それを『三尸虫(さんしちゅう)』と呼びます。

この三尸虫は『隠している過去を知り、六十日毎に廻ってくる庚申の夜に、人が睡眠すると身体から抜け出して天に昇り、その過去の罪悪を天帝に告げる』ことで生命が縮まると信じられていました。
よって、庚申の夜には三尸虫が天に昇らないために夜通し、眠らずに飲み食い、昔話などを語っていました。さらに六十年に一度来る庚申の年に『供養塔』を建立しました。

この供養塔の下には、村の現状を伝える品々や酒が埋納されました。今でいうタイムカプセルです。」*32

「白馬村最古の庚申塔。『天和三年八月吉日信州安曇郡切久保』(1684)の銘がある。

二猿二鶏が向き合い、赤みがかった石を使い、ほっそりとした塔身など、この時代の特徴を見せる。

この後の元禄時代から各地に庚申塔が建てられた。」*33

確かに二猿二鶏が彫ってあります。

「庚申の夜は『申の日』から始まり、『酉の日』に及ぶので酉と猿が庚申に結び付いたと言われています。酉は鶏で時を告げる神聖な鳥です。」*34

お隣の仏様には三猿が彫ってあります。

「庚申塔は、仏教系では『青面金剛』で、神道系は『猿田彦大神』の像を刻みましたが、新しくなると文字塔に変化しました。

青面金剛は病魔や災難を除くインドの神です。

六本の手を持ち、頭部に蛇を巻き付けています。古い形態は中央二手は合掌し、直立した静的な姿ですが、次第に足を踏ん張り邪鬼を踏みつけ、身をよじり、左手でショケラと呼ぶ上半身裸の女人の髪をつかみ、右手には剣を握る動的な姿に変わります。

他に、月や二鶏、三猿が彫りこまれます。」*35

私が仏様と思ったのは、どうやら古い形態の「青面金剛像」のようです。

「三猿は『見ざる、聞かざる、言わざる』のたとえであり、三猿を三尸虫になぞらえ目、耳、口をふさいで悪事を天帝に告げないものです。」*36

 

なんだか悪いことを誤魔化すことを認めているようで、面白い信仰だと思いました。

「人間(ひと)とは妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。」(「鬼平犯科帳」・長谷川平蔵)

「落語とは業の肯定だ。」(七代目・立川談志)

連想した言葉です。

庚申塚を作った時代の人々は、小心におおらかに、人間くさく生きていたのかもしれません。

15 観音原*37

切久保から新田宿を目指して南東の方向へ進みます。

バス停「前山スキー場」*38を過ぎて40~50ⅿ。右(南)の奥の方に石仏が並ぶ姿が見えました。どうやら観音原のようです。

小さなサッカー場ほどもある方形の広場を囲むように、たくさんの石仏が並んでいます。

「江戸末期の文化年間に塩島・切久保・神殿など近郷の人々によって造立された。四国・坂東・秩父の百体観音が揃っており、馬頭観音など合わせて187体が立ち並ぶ。

高遠石工の手になるもので、出来栄えのよい逸品揃い。

中央には四国八十八ヶ所霊場の象徴的な存在である弘法大師像が置かれている。

その規模・内容ともに優れ、松本ー糸魚川間で最大規模を誇る(村宝)。」*39


「霊場の数は、西国33ヶ所、坂東33か所、秩父34ヶ所、合計100か所あることから、通称百体、あるいは百番と呼ばれている。」*40

石仏群の中央にはひときわ目立つ弘法大師像が鎮座しています。

白馬佐野の二僧塚にある西行法師像*41に似ていると思いました。どちらも高遠石工の作ですから。

周囲の仏様。こちらも佐野坂の「西国三十三番観音」*42によく似た雰囲気だと思いました。

こちらも両者とも高遠石工の作です。

弘法大師像のある西側を上座とすれば、こちらは東側の下座(こういうとらえ方が適当かどうか分かりませんが)。

レンゲツツジの合間にもたくさんの馬頭観音などが見えます。

「中央は広い和芝(日本古来の芝生)が覆う広場で、休憩に最適」*43

普段目にする芝に比べて葉が大きく野性的な感じがします。

私はさほど信心深い人間ではありません。(ごく普通です。)

それでも、観音原の片隅に立って弘法大師像に向き合うと、187体の仏様たちの一員となったような厳粛な気持ちになります。

森の中にぽっかり開いた空が一体感を演出してくれます。

観音原は単に石仏を一か所に集めたのではなく、計画的に全体として一つの世界を形づくっているような気がします。

この観音原を作った人々の願いや意図などを詳しく知りたいと思いました。

新田宿方面からの観音原入り口

観音原はスケールが大きいうえに独特の雰囲気があり、どこをどのように写真を撮ったらよいのか迷ってしまいました。

ここは後日、もう一度訪れたいと思います。

 

観音原入口から南へ細い道に入り、新田宿へ向かいます。

五月下旬ですが、まだ菜の花が咲いていました。

 

坂道を下ります。

 

坂道の出口(入り口)には「塩の道 千国街道」の標柱がありました。

お花も植えられていて、ここから観音原までは遊歩道のように整備されているようです。

16 薬師堂・石造物群*44、水車の小屋*45

100mほど車道を下ると、三差路に薬師堂・石仏群と水車小屋が向かい合っています。

水路の水を分け、段差を作って水車を回していました。

水車小屋に気を取られ、薬師堂の写真を撮らずに進んでしまいました。後日撮影して掲載します。

17 塩島新田宿

薬師堂から西から東へ3~400ⅿ、新田集落の中を真っすぐに「伝行山鯉池」の方へ進みます。

集落の中央に水路が流れ、等間隔に橋が架けられています。計画的な町割りがなされているようです。

どの橋にもプランターなどが置かれ、よい環境づくりがなされています。

街灯には「せせらぎの里」と書いてあります。新田集落はこの水路を街づくりの核にしているようです。

この水路は塩の道の時代から受け継がれてきた大きな財産ですね。

 

歩荷や牛が歩けば道ができ、道ができれば宿場が必要となり、宿場ができれば人が生活する町となり…。

 

集落の中でも仏様の姿が見られます。

庄屋まるはち*46

集落の東にとりわけ大きな古民家があります。

この日は定休日でしたが、信州そばと炉端焼きのお店になっているそうです。

伝行山鯉池*47

「庄屋まるはち」さんから100ⅿほど東にあります。

鯉かどうか分かりませんでしたが、大きな魚が泳いでいました。

写真の池の向こうは「伝行山」です。

18 木庵*48

伝行山鯉池の道路向かい側にあります。

それにしても実によい場所にあるお菓子屋さんです。難所の瀬戸の幅を下ってきて、里に出てホッとし、池の風景に癒されたところにあります。一服したくなります。

そして「さて、次も頑張って歩こう」と区切りをつける場所でもあります。

よもぎ大福の評判が高いので期待したのですが、「よもぎが暑さで育ちすぎて…。この頃作っていない」とのこと。残念!

写真のバタードラヤキと甘辛姫ぐるみをいただきました。この記事の後編末尾「今日のお土産」コーナーで紹介します。

18 伝行山下堂*49・徹然桜*50

木庵さんから100ⅿちょっと。

伝行山下堂(しもんどう)と徹然桜(てつねんざくら)

徹然桜の近くにはベンチもありましたので、木庵さんのバタードラヤキ(自分用)を美味しくいただきました。

徹然桜は大きな枝垂れ桜。お花見の時期はさぞかし見事でしょう。徹燃桜と木庵さんのお団子のコンビは想像しただけで魅力的です。

187段の石段。急登というより、まるで岩登りのようです。

「牛方や歩荷は無用な山登りはせず、道を急ぐはず。油売りも同じ」と勝手な理由を思いついて登りませんでした。

迂回路もありました。頂上からの眺めは絶景とのこと、今日は時間がありませんが、いつか上ってみたいものです。

20 塩島城址*51

もうすぐ国道148号との交差点です。道路案内板の左に見える「城山」に塩島城址があります。

「塩島城址は姫川をはさんで三方が断崖をなし、戦略的には千国街道を押さえ、四ヶ庄平を俯瞰する位置に置かれた。戦国期の典型的な山城としての空堀・曲輪・馬場跡などの遺構が残る。」*52

 

塩島城址の北東に「青鬼」(あおに)という集落があります。*53

「青鬼は、松本藩大町組塩島村の枝郷でした。塩の運送に使われた塩の道千国街道の千国宿から分かれた善光寺・戸隠道は、青鬼を通り、柄山峠を越えて、鬼無里村を経由し戸隠神社・善光寺に向かっていました。」*54

塩島城は交通の要衝に睨みを利かせていたようです。

 

ちなみに「柄山峠」は「小蓮華岳ー落倉-柄山峠の3つの風切り地蔵は一直線に並んでいる。」という風切り地蔵の一つがある場所です。(この記事「5 風切り地蔵」参照)

21 専念寺石仏群*55

お堂、枝垂れ桜、たくさんの石仏たち

22 庚申塚・道祖神*56

 

桝形のすぐ近く

道の向かい側にも石物群

23 桝形

千国街道はここで鋭角に曲がっています。塩島城がここを押さえていたのでしょう。

中央右の電柱付近に前項の石仏群があります。

 

桝形の近くに塩島城址の案内板がありました。遊歩道が整備されているので、後日歩いてみたいと思います。

 

桝形から南へ、信濃森上駅へ向かいます。

この大黒天はイチイの枝を被っています。

24 JR信濃森上駅

桝形から300ⅿほど。

「1932年(昭和7年)11月20日:国鉄大糸南線の神城駅 - 当駅間が開通し、開業。

1990年代中頃までは、定期・臨時の急行『アルプス』の多くが当駅を始発・終着としていたほか、大阪発着の臨時急行『くろよん』も当駅発着となっていた。」*57

ここまでを振り返ってみて、とてもいいコースだったと思います。
地形に変化があり、高原の里山、昔の道、宿場町とバラエティに富み、見どころが個性的でたくさんあります。

白馬大池駅・信濃森上駅間に落倉自然園や塩島城址を加えて1日コースで歩くのもよさそうです。
松沢口から北へ向かう「千国越え」が人気のようですが、こちらもなかなかです。

(信濃森上駅前発から)」へ続く

*1:別府公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍

*2:白馬大池駅 - Wikipedia

*3:松沢口 - Google マップ

*4:松沢薬師堂 - Google マップ

*5:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*6:別府公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍

*7:落倉自然園 - Google マップ

*8:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*9:風切地蔵 - Google マップ

*10:田中欣一・田中省三(1997).塩の道500景-千国街道を歩く 信濃毎日新聞社

*11:このブログ記事「15 簗場駅⇒神城駅 後編(姫川源流入口から)」内の「31 民話『雪女』参照」

*12:別府公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍

*13:別府公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍

*14:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*15:地理院地図 / GSI Maps|国土地理院

*16:山栄館グラウンド - Google マップ

*17:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*18:田中欣一・田中省三(1997).塩の道500景-千国街道を歩く 信濃毎日新聞社

*19:小谷村観光協会(2022).千国街道 塩の道を歩く

*20:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*21:亀井千歩子(1980).塩の道・千国街道 東京新聞出版局

*22:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*23:おかるの穴 - Google マップ

*24:あづみ野児童文学会編(1995).白馬の民話 信濃教育会出版部

*25:別府公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍

*26:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*27:霧降宮切久保諏訪神社 - Google マップ

*28:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*29:別府公広(2009).古道 塩の道 ほおずき書籍

*30:あづみ野児童文学会編(1995).白馬の民話 信濃教育会出版部

*31:切久保庚申塚庚申塔 - Google マップ

*32:おもしろい庚申信仰 - 雪国観光圏 (snow-country.jp)

*33:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*34:おもしろい庚申信仰 - 雪国観光圏 (snow-country.jp)

*35:おもしろい庚申信仰 - 雪国観光圏 (snow-country.jp)

*36:おもしろい庚申信仰 - 雪国観光圏 (snow-country.jp)

*37:観音原の石仏群 - Google マップ

*38:西山スキー場 - Google マップ

*39:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*40:田中欣一・田中省三(1997).塩の道500景-千国街道を歩く 信濃毎日新聞社

*41:このブログ記事「15 簗場駅⇒神城駅 後編(姫川源流入口から」内の「24 二僧塚」参照

*42:このブログ記事「14 簗場駅⇒神城駅 前編(姫川源流入口まで)内「13 四国三十三番観音」参照

*43:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*44:薬師堂 - Google マップ

*45:水車の小屋 - Google マップ

*46:信州そばと炉端焼き庄屋丸八 - Google マップ

*47:伝行山鯉池 - Google マップ

*48:木庵 - Google マップ

*49:伝行山下堂 - Google マップ

*50:伝行山の徹然桜 - Google マップ

*51:塩島城跡 - Google マップ

*52:田中元二(1997).塩の道千国街道 詳細地図 古道案内ー歩く人のために‐ 白馬小谷研究社

*53:白馬村青鬼伝統的建造物群保存地区 - Google マップ

*54:白馬村・青鬼集落の歴史/白馬村 (hakuba.lg.jp)

*55:専念寺石仏群 - Google マップ

*56:庚申塚・道祖神 - Google マップ

*57:信濃森上駅 - Wikipedia